叶チャーム(1)

ドラマ「トクサツガガガ」の主人公、仲村叶について書きたいと思う。
叶の魅力はたくさんあると思うが、まず感じたことは二点。ひとつは、叶が憧れ理想とするヒーローの生き方を自分自身も真似たいと望み、彼女自身がそのように生きようと努力すること、その姿に魅せられる。もうひとつは、その容姿・性別・年齢と、彼女が求めるもの、趣味・嗜好とそれにたいする欲求の程度がとても強いということ、そのギャップが面白く、そこに強い興味を持ったということ。これらの二点が僕が叶に感じる魅力の主要な理由だが、ここではとくにその後者について、もう少し書こうと思う。
僕は叶の容姿を基本的に好きだと思う。「思う」というのは、叶にたいする感覚で最初に感じたことが、顔の容姿や体のスタイルなどの外見ではなかったからだ。しかし、あとから考えてみると、叶が容貌などの外見が自分の好みではなかったとしたら、それでも僕は彼女に好感を抱いただろうか?それは正直なところ、正確にたしかめることはできない。その同じ経験をあとからすることはできないからだ。しかし、もし仮にそうであったとしたら、というある程度の想定はできるかもしれない。すくなくとも、いま僕は叶の容姿を可愛いと思っている。だから叶の容姿が自分の好みでない場合には、いまのように叶を好きかどうかといえば、それは疑問がある。おそらくいまとは違うだろう。それはそうかもしれないが、ただここで思うのは、たしかに叶は可愛いから、その可愛い人が特撮に夢中になっている、その意外性が面白くて新鮮な感覚だったのだ。若くて可愛らしい女性で、仕事や家事などの社会生活もきちんとこなしているらしくて職場でも評判がよいみたいで、普通はオシャレや異性の視線を大なり小なり気にしてーそれをどう評価するかはべつにしてもーそのようなイメージを抱く人が、特撮に夢中で何よりも特撮が好き…そこに意外性を強く感じた。ただそれは、あとから考えてのことだ。僕のなかで、いま述べてきたような認識があったことはたしかだと思う。しかしそのときは、べつにそういうことを考えたり意識していたわけではない。こういう感覚は瞬間的なものだ。そのときには、いちいち理屈や理由などを考えてはいない。いちばん素直な感想としては、気がついたら、叶に強烈な関心をもち、好感を抱いたということになる。
これもあとから思うと、このドラマの作り方の影響が大きかったのではないかと思う。僕は視聴者だから、製作者側がどのように考えていたのかは解らない。それはともかくとして、仮にこれが叶の特撮好きということを番組の初期段階では視聴者には知らせずに、最初の1話では、もっと普通のドラマっぽく描かれていたとしたらどうだったろうか?もちろんこれもーもはや、やり直しはできない。仮にそのようなものをいまから作ったとしても、すでにいまある「トクサツガガガ」を知っている自分には殆ど意味がない。ただ僕は、自分自身のこととして、それでも仮にそのような設定だとして想定してみたら、ということも興味を持つ。
普通のドラマというのが、何をもって言うのか?ということがそもそもあるだろう。でもそう難しいことは言わずに、恋愛や家族などの人間関係を描くとか、仕事や組織などの出来事や在り方を描くとか、それを手法やジャンルとしては、シリアス系かコメディ・タッチか、とか…そういうことを含めて、いわゆる「普通のドラマ」というのがあるとして、そのような感覚でこのドラマが始まったとしたら?…やはり自分が叶にたいして抱く感覚は、だいぶ違っていたのではないかと思う。
仮に職場を中心に、そこでの人間関係や、恋愛めいたことも描かれ、仕事上での会社の方針との問題や同僚や上司との確執とか、そういったエピソードなどを重ねて、最初の1話もしくは、2話ぐらいが進むとする。3話目ぐらいで叶という人物の、なにか普通とは少し違うような独特の雰囲気とか、すこし秘密めいた感覚とかを感じさせるような描かれ方をするとして…そして4話目で叶が特撮好きであることが明かされる。…つまり、既知の「トクサツガガガ」の前に、そのような話があってそれが描かれて、そのあとに既成の、あるいはそれとまったく同じではないにしても、それに近い感じの物語が続く、という…。その場合はドラマ構成は実際の7話よりも少し多くて、全10話くらいになるかもしれない。もちろん、現実にはテレビ局や制作側の事情で、そういうことは難しいだろう。しかしそのことは置いて、仮にそんな感じで物語が描かれたとしよう。自分はどう感じるだろうか?
たぶん主人公が特撮好きという意外な一面を持っていたことに、驚きや興味を持つであろうことは想像ができる。だがそれは、事実あるこの実際の「トクサツガガガ」を観た感想とは相当に違うであろうと思う。これが細かい順番の違いからくる相違だけのことであれば、基本的には大した違いではない。だがじっさいには、その受ける感覚の度合いが全く異なると思う。この場合、僕は基本的に彼女の同僚であるマイさんやユキちゃん、あるいはチャラ彦や小野田くんの位置づけで叶を見ていたことになる。視聴者である僕は、物語の登場人物である彼等や彼女等の視点であることは同じだ。ところがそれがある時点で、突然べつの視点に変わってしまう。そこからは完全に僕自身の主観になるのであろうが、ではその僕自身の主観はどうなるだろうか?たぶん、としか言いようがないが、おそらく僕は、自分が観た実際のあの「トクサツガガガ」に比べて、叶にたいする好意の程度は、遥かに小さいものであったのではないか?と思う。
ここまで自分で書いてきて気づいたが、考えてみたら、もっと簡単にドラマのスタート時点の部分、時間にしたら数分間以内の短い時間で、いちばん最初に叶の「普通のOL」としての風景の職場での場面を見せておき、そのあとで「じつは彼女は…」というように、叶が特撮好きであることを描き説明される構成…という設定の仮定であってもよかったのだ。それでも根本はそれほど変わらない。
要するに叶という普通のOLと思っていた主人公らしき人物が「特撮オタク」という「別の側面」をもつキャラクター
だった、ということは判るわけだ。そうするとたぶん僕は「そうなのか」「変わった人だな」「でも、いろんな人がいてもおかしくないし」「なるほど、そういう設定の話なのかな」…ぐらいに思うかもしれないが…でもそれほど強烈な感覚は持たないような気がする。
前もって仲村叶というキャラクターのイメージが出来上がっていて、あとから「じつはこんな意外な一面があるのだ」という場面を見たり説明を聞いたりしても、たしかに「へー?そうだったのか?!」という驚きを感じても、それほど意外性や叶という人間に対しての「普通のOL」と「特オタ」というものとのギャップをあまり強くは感じないと思う。普通のOLだと思っていた人が特撮好きでもあった、という追加的な認識だけだからだと思う。