学際的など無意味

「学際」など無い。

学問は1つで、単体だ。

あるのは、技術的な知識だけだ。

それが医学であろうが数学であろうが、あるいは哲学であろうが芸術であろうが、もちろん法律でも経済でも、心の仕組みや人間関係のコミュニケーション理論などと呼ばれるものまで含めてーーあらゆる「知る」こと「わかる」こと「する」ことまでーーそれらに関する知識や技術のことにすぎない。そして、それが最も大事なことである。

では、あらためて学問とは何か?

そういうことを言葉で説明することじたいが無理で限界があるが、あえて言えば、学問は知的探求を基盤にした趣味嗜好だといえよう。

では学者とは何か?文字通り「学ぶ者」である。学者とは永遠の学生である。

学問に威厳や権力は無用であり、それは有害だ。

学問に権力は有害だが、しかし「歴史的な経験からくる多数派による認識」といった、ある知識にたいする伝統的な権威といった感覚は、それを否定する必要はないし、またじっさいに否定しきれることでもない。

いずれ学際といったことに、こだわることじたいが無意味になる。せいぜい最小限な便宜上の区分けでよいと思う。