依存の強み

まったく日本は自民党の国だと思う。自民党は、単に政権政党というだけでなく、日本の社会・文化そのものが集大成した存在なのだと思う。

日本の国民は、自民党に甘えていれば安心だ。もちろん自民党の政治には、間違いも失敗もある。国民すべてが納得できることをしているわけでもない。それでも自民党は、一時的な例外を除いては、基本的に長期政権を維持し続けている。

自民党の政治は、理想主義的ではない。それが国民の比較的多数派の支持を得ている理由だ。理想主義でないということは、甘えが許されるということだ。理想を目指さないということは、無理や努力や背伸びをしなくて済むということだ。だから楽だ。人間、なんだかんだ言ったところで、結局は「楽」なほうがいい。精神性の美しさを否定はしないとしても、いろいろな意味で、ほどほどな満足感を維持できるほうが、長い目でみると結局は生きやすいのだ。

自民党は、つねに批判される。批判されて、結果的には支持され続ける。決定的なところでは支持されることを前提にしているからこそ批判或いは非難され続けるのだ。国民は決して自民党が倒れないことを知っている。倒れないからこそ、安心して批判するのだ。

日本では、批判勢力は決して責任を持たない。責任を持たないからこそ「正論」を主張できる。自民党は、正論を無視することもできないから、その「正しい批判」を部分的に受け入れる。だから支持される。そして自民党の政策は、結果的に、それなりに「進歩的」になる。

日本の国民は、無責任なままで、批判や不満をぶつけ、正義に恍惚感をおぼえる。自民党は倒れない。倒れないが、それなりに批判には耳を傾けざるを得ないから、多少の修正を加える。その修正は、大きな努力や苦労は必要ないし、強い覚悟も要らない。そして自民党の最終的な施策は、原案よりもは多少「ましなもの」になる。

自民党と国民は、国家規模での相互依存だ。自民党は、それなりに物分かりが良さそうで、しかし肝腎なところは譲らない親のようなものだ。国民は、親を言いたい放題に批判して、しかし親の庇護を受けている子供のようなものだ。

政権と国民が、甘えと依存で適当にバランスがとれていられる日本は、幸せな国だと思う。ただそれだと大きな変革や根本的な改革は難しいから、それが必要なときは、外部からの圧力つまり「外圧」が必要となる。そうやって日本は、世界と混ざり合っていくのだ。