野党に立案能力を期待しない

野党には、立案能力や代案提示能力を期待しない。野党ができることは、批判であり、批判こそ野党の最大の役割だ。野党には、政権担当能力はなく、無責任な万年野党であることが前提であり当然なのだ。少なくとも日本の場合はそうである。
それならば野党の努力すべきことは、批判の「的確さ」である。見当外れな批判なら、しないほうがいい。なんの批判もできない野党は無能扱いされるかもしれないが、せめて無害であることは保てる。見当外れな批判は、無益なだけでなく、有害である。無能な野党は、せめて有害にならないようにすべきだろう。
野党の的確な批判によって、強大な政党である自民党による政権は、その独善・傲慢・横暴を防止する。さらに自民党および政府による政権に、譲歩をさせ、必然的に政策を修正・改革をせざるを得なくさせる。野党が的確な批判をすればするほど自民党の政権は、その全体は保守性が強いにもかかわらず、実質的には、進歩的な内容のものになる。それが徹底すれば、自民党は結果的には、革新政権と同じになる。野党がめざすべきことは、政権交代のような政権奪取ではなく、自民党を実質的な革新政党にすることである。