武力に弱い人間

人間は武力に弱い。とくに武力の行使に弱い。もっと言えば、戦争に弱い。

直接的な死や苦痛や破壊に結び付く戦争は恐いと思うのが当然で、それをできるだけ避けたいと思うのが普通だろう。しかし戦争になってしまったら、そしてその戦争が容易には終わらないと感じてしまったらーーたぶん多くの人々は、その「戦争で勝つこと」を望むようになるのかもしれない。

戦いに「勝利する」ということで、戦いの恐怖感を忘れようとし、さらには戦いの高揚感を感じ、そして勝利の優越感を欲するようになるかもしれない。もちろん、そのなかでも、それに対する個人差は常にあるとしても。

一般に人間のもつ残虐性や攻撃性、あるいは反撥の感覚や不安・恐怖感、さらには怒りや憎しみ、それらのものが戦争を生むように思われることが多いかもしれない。だが、むしろ逆に、戦争によって、そういうネガティブな感情や衝動などが生まれる、もしくは増大する、そういうふうにみるほうが自然な感じがする。

そうなると、戦争が始まってしまったら、憎しみや復讐心、優劣の意識の増長、より激しくなる攻撃性ーーそういった闘争の激化要因が増大する一方ということになる。当然、人々は軍事力にばかり頼るようになる。戦いの規模はますます大きくなり犠牲者は増すばかりだ。

だから戦争にならないことが第一であるのは言うまでもないのだが、それでも不幸にして戦争が開始されてしまった場合はーーひたすら停戦をめざすことが何よりも重要なのだ。たとえ一時的であっても、戦闘を中止することが大事なのだ。

戦争は、殺戮と破壊を肯定するために為される。肯定された殺戮と破壊によって、あらたに競争と優劣というものが拡大再生産をされていく。

もともと戦争というものは、男の社会と価値を保つために行われたのだと思われる。どんな戦争にもその要因が含まれている。武器の性能、兵員の人数、作戦の巧遅など、メディアの影響も含めて人々の関心は軍事的なことに向けられる。それは戦争の肯定につながる。ーーだから、たとえすぐに破られるような停戦であっても、停戦をすることが大切なのだ。

平時はもとより、戦時においても、ーー軍事力依存の感覚は変えていかなくてはいけない。