価値と欲望

価値は欲望の種類によって決まり、また変化もする。だから資本主義社会の価値とは、すべて欲望の創造にある。

1人の人間の持つ或る欲望の比率が、より大きいほど、その人にとっての或る価値の比率も大きくなる。その価値に見合ったものがーーそれが物質的な文字通りのモノでもサービスでも、それ以外の何か精神的なことに関わるものであろうとーーそれはその人にとっては「価値」になる。

価値が市場(しじょう)で金銭によって交換されることで、その価値は「商品」となる。

金銭、貨幣、マネー、お金(かね)、ーー呼び方はいくつかあるが、ここではとりあえず「カネ」という表現をしておく。ーーカネの便利なことは、それでどのような商品も取得できることだ。カネは取得したい商品の種類を問わない。ただ、種類は問わないが、取得できる商品の質および量は、支払えるカネの多少によって異なる。ーーだから人はカネを必要とする。

必要とする商品を取得できるカネを持っている場合、それで全てとは言わないが、その人の幸福感はある程度が充たされることが多いということは言えると思う。

その人にとって必要な商品の取得のために必要なカネを取得するために、その人は仕事をする。仕事とは、自己の能力を商品として売ることだ。だから、人間が幸福感を手に入れるためには、自己の商品としての価格を創造する必要がある。

政治や法、軍事的なことや国際関係、宗教や民族感情などーー直接にはカネ、もしくはカネだけでは売買ができず、あるいはカネだけで左右されるとは限らないものごともある。ただ、カネがそれらのことに影響がない、ということではない。当然カネだけが全てでないということはいうまでもないとして、しかしカネも関係し影響するということだ。カネと、それ以外の慣習や倫理観やさまざまな感情などの「カネ以外のこと」を含めて、混合して世の中はできているといえるだろう。