経済も変わる

経済は物的なものと金銭的なものとの関わり合いと思われてきた。モノとヒトとサービスとよく言われる。この「ヒト」の部分が現在ではクローズアップされている。以前であれば、このヒトというのは、労働者や資本家とか、生産者と消費者など、もっぱら利害関係を通して、さらにそれが力関係や敵対関係のような関わりの場合に用いられてきた概念だったように思える。依然として、そのような概念や常識はあるし、それが間違っているわけではない。ただそれだけではなくて、利害・金銭・利潤といったこと以外でも、そこに人間関係や社会的なものが、より多く感じられるようになってきたような気がする。しかし考えてみれば、資本主義が発達する前には、そういう商売や買い手などの関係も、人間関係や人々のさまざまの感情なども含めての動きだったのかもしれない。それが近代以降になって、産業と生活とか、労働と家庭とか、生産と消費などのように、機械的な感覚だけにイメージされすぎたのかもしれない。GDP、景気、物価、企業の純益、等々のハード面が経済の象徴のイメージになった。たしかにそれらは重要だし経済の象徴的なイメージを表している。しかしそれは経済の一面だ。それらは主としてパワーの象徴である。企業の興亡や国家間の駆け引き、職業やビジネスなどのステータス、等々ほんとうに人々の生活や幸せに関わることかどうかは判らない。それらは主として人々や世の中、国際関係などでの優劣や上下関係など、俗にいうところのハード面が中心だと思う。

実際には現実の世の中や人々の生活、人間関係などは、安定と安全の生活基盤を求めることは当然だが、それ以外では、必ずしも賃金や収入だけでの労働、価格だけの消費ではなくなってきている。生活と文化の個性と多様性を抜きにしては経済の健全な活動も為されなくなってきている。経済は、文化と社会の変容の上に成り立っている。