みえーー見栄

見栄さえ張らなければ、人間は大抵は幸せになれる。それを多くの人々が見栄を張るということは、多くの人々は、幸せに成りたくない、ということだ。

誰だって幸せがいいに決まっている。それなのに幸せを阻害する見栄という行為をするというのは、二つの理由が考えられる。

1つは、見栄を張ることで幸せになれると思い込んでいる場合。これは本当に見栄が幸せと真逆だと理解すれば解消する。それが判っていても、なかなか変えられない、ということはある。しかし判っていれば、ある程度の改善の方向性をもつことはできる。

もうひとつは、見栄が幸せを阻害することが判らない場合。これは自覚できないと仕方ない。幸せになれないのは見栄を張っていることに気づかない。気づいていれば自覚する。この場合は、「幸せになりたい」という気持ちを意識的にもつことだろう。自分が幸せを強く望んでいることを意識するようになれば、それが出来ないことが見栄と関連があることに気がつくかもしれない。たしかなことは言えないが、その可能性…見栄が幸せを阻害しているのかもしれない、ということに気づく確率は高くなるとは思う。