無性社会

なぜ女から人が生まれず男の肋から女が生まれたことにしたのか?具体的な経緯は解らないが、目的は女から人が生まれるのではなくて「人であるところの男から女というものが生まれた」ということにしたかったのだろう。女がこの世に誕生するまでは、当然ながら性別はなかった。そこには「ひと」がいただけだ。その「ひと」の体の部分から「女」が生まれたことで、それまで「ひと」と呼ばれていた者は「男」になった。しかし男は「ひそのと」であることをやめたわけではない。人でありながら同時に「男」にもなったのだ。

このストーリーをなぜ作ったかはその作者でなければ解ららないが、その目的はたぶん男が社会の主導権を握るためだったと想像はできる。女にせよ男にせよ、女から生まれる。だから女が男より偉いというわけではないだろう。しかしとにかく女がいなければ、女も男も生まれない。遺伝子などのことはべつにしても、現象的には男はいなくても人間は生まれるが、女がいなければ人間は生まれないということになる。ふつうに考えて女のほうが社会的な地位が高くなりやすくなっても、それも自然なことかもしれない。

女のほうが基本的に地位というか位置というか、なんとなく高い。おそらく男は、それがイヤで反乱を起こしたのではないだろうか?もちろんその根拠も資料も確証もない。しかしたとえばそのように仮定してみると、それなりに納得のいく「物語」というか「ストーリー」はできる。

そこから男は、女に勝つためにさまざまな手段を考え、またそれを実行していった。技術・科学、言語的な論理や思考。美や観念。そして特に社会的なことの手段や方法として、いかに「集団という社会を自分の都合のよいものにするか?」ということを望み考えるようになった。

それはひとことで言えば「権力と暴力と闘争による社会の確立」である。主として「組織的な世の中」を作りそれを運営する。契約や事務手続、作業の分担化や分業化、地位や役職による上下優劣と指揮命令系統、利害や取引。

それらは結局、権威や名誉や権力あるいは無制限に求める富や利益などに結びついていく。政治・法・国家や戦争や軍隊。ーー男はそういった社会を作った。そして女を下位に落として、男が社会を運営する主導権を持った。いっぱんに知られている歴史は、ここから始まったのではないだろうか。

近代以降の二十世紀になって、広い意味のフェミニズムが発達してきたが、それが社会や文化の基本まで実態化をしたのは、21世紀、つまり、今世紀になってからだろう。では今後の展望はどうなるだろうか?

結論から言えば、男はいなくなったほうがいい。精子などの保存や継承が出来ていけば、或いは人工的に遺伝子のようなものが作れるようになりそれが実際化するようになれば、事実上は人工生命のような方法で人類は生存をし続けていくことになるだろう。そうなれば、男女による生殖の行為は必要なくなる。あってもいいが、じっさいにはその必要性は少なくなるだろう。男という性の片方がなくなっても、遺伝子・精子・受精ということが可能であれば、身体としての男の存在は無用になる。遺伝子操作なり、そこまでではなくても、いわゆる「産み分け」がひろがれば、しぜんに男児を産まない傾向になるかもしれない。

それがいつ頃かまでは解ららないが、男はいなくなり、女だけの世界になる可能性は大きいと思う。或いは、生物的に身体的に、男も女も文字通り消滅して、人間は「無性」生物になるかもしれない。そうすれば男女や恋愛の問題はなくなる。いわゆる「色恋」の問題は、この世から消える。女だけの世の中になり事実上は「性の区別がない」に等しい社会になるか、それとも女も男も共に身体的な変化によって文字通りに「性そのものが存在しない」ようになるか。

いずれにせよ人類は、何らかの意味で、「無性」生物になるだろうし、またそれが良いと思う。