暴力と権力

暴力と権力は、両方、悪い。
だが暴力のほうが、より悪い。暴力は無制限な破壊と攻撃だからだ。
攻撃と破壊、それは人間に対して、人間以外の生き物に対して、肉体や身体に対して、精神や心に対して、そのほかあらゆるものに対しての否定的行為である。社会も文化も、技術も芸術も娯楽も愛も喜びもーーすべてを否定し、抑圧し、苦しめ、そして憎悪を生み出す。
だから暴力はいちばん悪い。暴力はいちばん悪いが、権力はといえば、権力は暴力のコントロール・システムだといえる。権力は決して暴力の否定ではなく、暴力の調整・調節のシステムだ。暴力を、まったくの素のままではさすがにまずく収拾がつかないので、多少なりともそれを調整しようというものだ。ひとことで言えば権力は、暴力の管理者だ。
組織と制度によって暴力を管理する。権力は必要悪と言わざるえない。権力の実際は、政治および政治的なものになる。形や名称はどうでも、けっきょくは、政治的になるだろう。
「よりマシ」な権力を求めるより、現実にはやりようがない。ようは、野放しの暴力と管理された暴力、どちらが、まだしも「まし」かという話である。