時代は社会の集合

社会の集合体が時代だ。その社会が集約されたものが時代だ。
ひとたび時代が形成されてしまうと、その時代の動きを変えることは不可能だ。そうであれば、時代に逆らうことは、無駄とまでは言わなくても、まずは徒労に終わるのが殆どだ。
だとすれば、もしただ時代の波に流されることがいやな場合は、自分の望む時代をつくるしかない。
自分の望む時代をつくるためには、大衆の感覚をつかむことだ。大衆の感覚をつかむためには、大衆が「自分が無理をせず、自分が負担を背負わず、自分の気持ちに素直になれて」そしてその上で「こうなったらいい」と思えるようにーそういう言動をすることだ。
理想や理想主義的な主張は控えたほうがいい。理想を捨てろと言っているのではない。理想も、それが押し付けられているように感じると、それは反発を生むだけで逆効果になるだけだ。
どんなにその理念がよいものであったとしても「きれいごと」と「世間知らず」と感じられてしまうと、大衆は背を向け、それに対して無視・無関心になり、また反発し、憎悪さえ招き寄せることにもなる。
民族主義国家主義などナショナリズムが比較的に容易に多くの人々を惹きつけ多数派を形成しやすいのはなぜか?それはエゴや身勝手さや保身の気持ちに素直になれて、しかもそれを集団のために自分は貢献をしているのだという感覚になれるからだ。大衆は、自分自身は平凡で世俗的な生き方を望みながら、しかもそれでいて自分が属する集団とその権威にたいして自己が貢献していて自身が集団と同化しているような感覚になるとき、そこにプライドと陶酔感をもつようになる。
時代をつくるためには、そういう大衆心理に逆らってはいけない。
安易で安直、押し付けと感じさせないこと、皆が興味をもつこと、それによって自分のプライドを満足させられるようなこと、ーー多くの人々の気持ちをとらえるためには、そういう言動や主張の仕方をしていかねばならない。