けっきょくは権威主義

男は闘争と競争が好きだ。それがゲームやスポーツなどにとどまっているあいだはいいとしても、本質的には闘争心と競争意識は、権威主義に通じる。闘う、争う、競う…それは「自分が他者よりも優れていたい」「自分が他よりも上だ」と思いたい、そう見られたい。その欲求であることはたしかだ。上下・優劣の差をつけたがるのは、人間なかでも男の、きわだった特徴だ。男に限らないが、しかし男に特に強く現れるものだと思う。
平等の原理、平等化は、「平等に権威を得ることが出来るようにすること」だと思う。かつて近代以前の社会の血筋や家柄や職業などによる差別からの解放をはじめ、性別やジェンダー、人種、民族、障害者、さらに能力の差違に対する差別、容姿や外見に対する評価の問題、人柄や人気など…あらゆることが差別として認識され、平等化を求める。平等に「権威を得る」欲求であろう。しかし権威とは基本的に少数者に自分がなり、もちろんそれはなんらかの理由で「優れている」という前提だ。少数者で劣っているとみられる場合それは「差別される」側となる。優れた少数者だからこそ権威が得られる。つまり、そのように権威の平等化を求めても、絶対にその実現は不可能だ。ーーけっきょくは権威主義を求めることは失敗し、良いことにはならないと思う。そうであれば、より可能性が考えられるのは、基本的な前提に「なんでもいい」「全部よい」とすることだろう。その上で、どうしても「それはさすがにまずい」ということだけは再考し、臨機応変に対処する。そうしていくことではないかと思う。