人類は生物ではない

人類は生物ではない。あえて言えば、妖怪だろう。
もともと生きものと言われるものは、生物と妖怪のことだ。最初の派生がどうであろうと、妖怪=人類は、他とは違う存在だったし、その後もずっと妖怪だ。だから生物とは交われないし、他の無生物といわれるものとも違う。絶対的に孤独なものだ。わかっていることは、人類だけが「愚かさ」を生んだということだ。全存在のなかで唯一、「愚か」という現象を生んだ。人類は、生まれたときから芸術家だからだ。
人間は矛盾を好む。人間は不幸を求める。もともとそういうふうにできている。だからそこをあまり特別視せずに不幸を透明な風のように感じたほうがいい。そうすれば、幸福にはなれないが、不幸を悪いことやつらいことに感じることはなくなる。
人間は個を嫌う。だから個人主義に立つ西欧の社会は、妖怪としての人間の道からは外れた方向性だといえる。個を壊すために流行があり集団は生まれた。動きとは何かといえば、多数派になるため、多数派の仲間に入るためだ。個人や個性というものを消すことを人は求める。それが本能であるからだ。全体主義とか管理社会とか呼ばれるものは正しい。みなが同じ感性、嗜好、同質の状態になれば争いはなくなる。差別も暴力もない。無個性化こそ宇宙の秩序に適合する道である。
「人間的」な感覚や思考や行動は、人類という種(しゅ)の保存からはあきらかに反している。しかし同時に人類は、かならず反逆者を生み出す。その理由は妖怪だからだ。
愛や自由や、正義などの観念や行動は、種の全体の保存に反している。人間的であることは、人類の敵であることを認めなければならない。
人間は不合理な存在である。
ゆえに人間的であることは、人類の在り方と矛盾する。ゆえに人間的であることは、人類の不利益になるということで、人類の性質に矛盾しない。