戦争の記録映像

厳密に戦争だけでなく広い意味で戦前から戦後にかけて、テレビを中心に放送される映像。とくに終戦記念日が近づくと例年それらの映像が放送される。それを何度も観ているうちに、映像の場面に対する慣れのようなものが生まれてくる。
戦前のものでいちばん印象に残るのは、自分の場合は真珠湾攻撃の放送だと思う。ほかにもたくさんあるはずだが、やはりすぐに頭に浮かぶのは、ラジオ放送をしている場面の映像だ。「帝国陸海軍は…」というあの放送だ。それ以外では、もちろん多くの場面はあるが、ただそれらは必ずしも同じフィルムの同じ場面かどうかは言い切れない。ただ例えばこれはアメリカが撮影したものだと思うが、たしかサイパンだと思うが、1人の日本人女性が崖から飛び降りる場面が印象的だ。この場面は、繰り返し何度も放送される。戦後はなんといっても皇居前広場でかしずく人々。とくに坊主頭に眼鏡の男性が、こわばった表情で前を見つめているのが印象深い。そして玉音放送が聞こえる。「耐え難きを耐え…」という、これもある意味、パターン化さえしていると僕自身は感じてしまう。
厚木のマッカーサー。これも何回見た場面だろう?…そして東京裁判で頭を叩かれた東条英機
復興後では、もう決まったパターンになった東海道新幹線が走り、東京オリンピックの聖火。
高度成長期では、ロカビリーの平尾正明が、興奮したファンに両足を引っ張っられ、平尾は仰向けに倒れたままギターを弾きつづけている。そして飛行機から降りるビートルズビートルズはハッピ姿だ。安田講堂、アポロの月面着陸、大阪万博の人の波と太陽の塔と続いて、たいていは鉢巻きをして叫ぶ三島由紀夫
これらの映像は、数え切れないほど、何度も何度も繰り返し放映されている。そして、それは必要で大切なことだと思いながらも、そういう映像の場面に慣れ過ぎてしまった自分に対して、説明できない奇妙な感覚を意識せざるをえない。「ああ、またあの場面だ」「あの映像が無いな」…そんなふうに思ってしまう自分自身に言い切れない違和感を感じてしまう。