公家物語(16)

公家の家は、さして広くなかった。しかし公家ひとりが暮らすには充分であり、むしろ余裕があった。とくに書斎ー、一般的にはそれを書斎というのだろうー書棚があり、椅子と机がある。机上にはパソコンがあり、パソコンの右側には辞書類や地図、それからその時々で特に気に入っている本などが置いてある小さな本箱がある。パソコンやスマホで殆どの調べ物などができるようになっても、やはり実際に手に取って調べる辞書や地図なども手近に置いておきたかった。パソコンの左側には大学ノートが20~30冊、やはり小さめな本箱の中に立て掛けてある。壁際にはベッドがある。寝室は別にあるが、読書や調べ物、考えごとなどをして、疲れたときに気楽にゴロッと横になれる場所が欲しかったのだ。
公家は机の上に左肘をついて、ぶつぶつと、のたまわっていた。
公家は、必ずしも政治的な人間ではない。むしろ実務的なことはもとより、政治的な判断を求められたり会議などで、いろいろゴチャゴチャと意見が飛び交う空気というものは面倒くさいと思うことも多い。そういう場所は、かつて決して得意ではなかったし今もあまり変わらない。…だが、こうしてせっかく千年の時を超えてこの21世紀の世界に来てみて、大なり小なり、世の中の動きと変化に何も感慨めいたものがなかったかといえば、それもまた嘘になるだろう。
民主主義とは何だろう?幾度となく多くの人々が問い続けてきたであろうこのことを公家は考えていた。ーそれは普遍的なものだろうか?…結論からいってそれは判らない。明確なかたちで存在したのは古代のアテナイだったし、それを継承したローマにもそれは形を変えて受け継がれた。それが理念的に位置付けられ一般的なものという建前になったのは18世紀後半の欧米によってである。だがそれがアジアになかったと言い切れただろうか。アフリカの内陸部や新大陸になかったと言えるのだろうか?
公家のいた平安中期の宮廷は、要するに藤原摂関家の全盛期、「源氏物語作」の作成された頃だった。公家は後世に紫式部と呼ばれた女性には会ったことはあるが、当時は女性はなかなか素顔を表さないので、まともに顔を見たことはないし、挨拶程度のほかは話をした覚えもなかった。源氏物語のほうは、評判になっているので一通り目を通したこともあるが、とくに面白いとは思わなかった。同時代の人間だからそこに描かれたことはある程度の理解はできたが、男女差の感性の違いであろうか、それほどピンとくるものではたちなかった。色恋のこともそうだが、政治や権力争いのことも、いつの時代もであろうが、そう楽しいものだとはいえない。
公家の頭と思考は、必ずしも、そんなに明確なものではなかった。…近代…革命…産業化社会…植民地と帝国主義社会主義国家、ヒトラー軍国主義、原爆、冷戦…それは茫漠とした意識とモノクロ映画のような、現実と寓話のようなイメージが交錯した奇妙な騙し絵のようなものに見えた。
民主主義の世の中で、戦後のほとんどの時代を日本ではのあ自民党が委ねられてきている。これは何となく、選挙という制度を用いての摂関政治のような気がした。鋭さや理念型や論理性ではなく、のらりくらりとしていて、たしかにつかみ所が無いクラゲのようにも思えるが、どこかで結局ある程度のバランスはとれているのだろう。自民党はどこかで広い国民層を集約しているような気がしてならなかった。自民党は1つだ。例外的に分裂したことはあっても基本的には1つの集団を保ち続けている。野党やほかの政党は、ばらばらで常に分裂や仲間内で批判が絶えない。しかもその批判しあう内容は些末なしかも感情的なことが多い。これは多分に理念や政策論議が、つねに一方的な正義や正論として自己主張の権化になってしまうからだろう。自民党には理念や政策論議はない。あるのは何となく世の中の空気を感じて、それを極端になりすぎないていどの方向に持って行くだけなのだ。
おそらく「人々の望みを最低限に保つ」ということをしているのだろう。公家はそう考えると、ふと我にかえった感じがした。自民党は、人々の願いを達成しようとはしない。「願いのなかで最小限の要点を壊さない」ということをしているのだ。
公家はがっくりと首を垂れて、うなだれてしまった。…良いのだが悪いところもある、とか悪いけれども良い面もある、というのではダメなのだ。「継続的な支持を受けるものは、良くも悪くもない存在なのだ!」。自分が小さな声にだしてそう言っているのを公家は気付いた。