白線の光(8)

叶は判っていたのだ。
叶自身は、特撮が好きだし、特撮を良いものだと思っている。ただ、世間では、若いOLが特撮オタクということに対して、あまり良い印象やイメージは持たないであろうと、それは叶自身が思っていることだろう。じっさいにどうなのか、それが社会の実態と叶の認識とが、どこまで合致しているかはわからないが。
叶が特撮好きなのは言うまでもないとして、それとはべつに、恋愛や結婚や幸せな家庭生活といったことも求めているのかもしれない。今は特撮にもっぱら夢中でも、先のことや歳をとったらと、そういう不安がゼロとは言い切れないかもしれない。
男性との付き合いとか、結婚に関しても考えていくべきかもしれないと、そういう思いもあるのかもしれない。だから明けても暮れても、特撮にかまけている自分自身に対しても「バカなことをやっている」と、第三者からみると自虐的とさえ思えるような感覚をもつのかもしれない。おそらく、そうでないかと思う。ということは、叶は彼女の母親の言うことを理解していて、叶自身がそれを認めていたのだろう。
だから叶の闘いは価値がある。
特撮を愛しそこに最大の価値を認めながらも、普通の女性としての幸福からは遠ざかっているのではないかという不安やコンプレックスのようなものも抱きながら、それでも特撮を大切にしていき特撮を通して仲間を作る努力を惜しまない。現実を知った上で、自分が異端的な存在であることをイヤというほど感じ、そのなかでも人間関係を広めかつ深めていこうとする。その生き方は、叶自身を幸せに向かわせていくであろうし、そんな叶の姿は人々を勇気づけるにちがいない。