三島由紀夫の甘さ

三島由紀夫自衛隊にクーデターを起こさせようとして失敗したのは当然のことだ。そして三島自身がそれを予想していたことだ。ただ、三島があれほど動揺し失望したのは、そうはいっても、自衛官たちが、あそこまで不まじめで無気力、罵声の連打を浴びせるとまでは、さすがに予測でなかったのかもしれない。批判されるにしても、話もまともに聴いてくれない、仕方ないと思いながらも、でもまさかそれほどまでとは、と感じたかどうか…三島本人にしか判らないが、そういう想像はできなくもない。
自衛隊憲法違反なのに、自衛官が自身を否定する憲法のもとにあることの矛盾を批判する。だからクーデターで憲法改正して自衛隊を名実ともに正規軍にしろと。
論理的に正しいかもしれないが、しかしそれを徹するなら、正規の憲法手続きで改憲するのがスジだろう。それが出来ないと思ったから非合法な方法で実行しようとした、つまり実力行使という手段で為そうとしたわけだ。しかしこれは法論理で矛盾している。しょせん矛盾と非合理は免れない。
それならば今さら自衛隊違憲性などにこだわる意味はない。違憲であることに堂々と居直ればいいではないか。
どっちにしろクーデターや改憲など成功したとは思えないが、それのもどうしてもやりたいというなら、楯の会の精鋭で皇居を襲い天皇と交渉することくらいしか手はなかったのではないだろうか。
自分はこの頃、三島が率いる楯の会、私兵、それに自衛官や元自衛官も含まれてか…そういう連中が皇居に侵入する夢をよくみる。それでどうしたかという前に、いつも夢は覚める。夢から覚めても、夢うつつ、半覚醒というかヘンな感じなのだが、あまり気分はいいものではない。
しかし三島としては、天皇に迫るようなことはできなかっただろうから、どちらにしてもクーデターは失敗したであろうが。
自衛隊は事実上の軍隊ではあっても、旧軍とは違う。天皇大元帥ではない。軍隊でない自衛隊と象徴天皇という現実を認める以外ないのだ。
三島の文学は、きわめて大衆的だ。だから売れた。とくに若い女性の感情をとらえた。一方の懐古趣味的な古きよき日本にたいする郷愁と愛国ロマンは、やはり女々しい男たちの往生際のわるさを引きずった。それは野卑な男というか「雄(おす)」の異形とでもいう姿の裏返しだ。
どこまで進んでも三島は道化を免れなかった。その自覚もあった。そこに徹する方法を知らなかったわけではないが、どうしても吹っ切ることはできなかった。それほど女々しかったのだ。ーーどうしても男に成りたかった女々しい生き物…それが三島だと思う。