自己に対しては無評価がいちばん幸せ

他者や世の中についてどう考えるかはまたべつにして、すくなくとも自己に対しては無評価なことが、いちばん幸せだと思う。
自己評価とか、最近よく言われる承認欲求のことだとか、そういうことはどうでもいいと思う。それをなにも考えたり感じないことが、いちばん幸せなときだと思う。
たしかに、ひとから良く言われ、あるいは褒められて、悪い気はしないだろう。嬉しかったら、それでいい。しかし、それはそれだけのことだ。もし高い評価を得たいために行動するようになると疲れてしかたがない。必然的に思考も言動も窮屈になり、素直さがなくなり自分に嘘ばかりついて生きるようになる。とても幸せとは思えない。
もちろん悪く思われて、結果それで自分がひどく不利益な扱いを受けるのはイヤなことだ。だから、なにもわざわざ人が嫌がることをすることはないし、人から嫌われる必要もない。そこはむしろ人間関係のことで、ものごと上手くいったほうがいいし、できるだけ皆と仲良くなれたほうがいいにきまっている。ただ、だからといって、自分の評価を求める必要もない。
そもそも「評価」などは、当てにならない。他人や世間からの評価など適当で無責任なものだ。では自己評価なるものはどうかといえば、これはたんなる「思い込み」にすぎない。そもそも自分自身のことを「よい」と思おうとして、思えるものではない。それを自己尊厳だの自己認知だの言うのは、言葉のごまかしで自分を慰めているだけだ。
ようするに、自己に価値だの評価だのは思わないのがいい。どうでもいいことなのだ。自身について無価値、無評価、無意識なのがいちばん幸せだ。
自分に対して意味だの値うちだの考えずに、ただ自分のしたいことだけをすればいい。もちろん、その「したいこと」が他者の利害とぶつかるときは、お互いにどうしたらいいかを考えねばならない。これは当然だろう。また「したいことだけ」すればいいといっても、現実にはイヤなこともせざるを得ないのも仕方がないことだ。ーそういったことは前提の上でのことだ。
自己の意義だの評価だのは度外視して、ただひたすらに、自分以外の「ひと」や「もの」や「ものごと」や…何かに向かって、好きになり、興味をもち、夢中になって、取り組んでいけば、ーそれに優る幸せはない。