白鳥の騎士は真剣そのもの

時間にすれば僅か2分間ぐらいのオープニングだけの場面で、なぜ白鳥の騎士が、あれほど「かっこいい」と感じたのか?なぜ、そこに感動さえもおぼえたのだろうか?
何回か繰り返しそのオープニングを観て、僕はそのことを考え、また新たに感じた。そして、こう思うようになった。ー「白鳥の騎士は演じていないから、かっこいい」、自分の姿を「誰かに見て欲しい」という気持ちが全く無いから誠実さを感ずるのだ、ーと。
それが時代劇だとかSFだとか、あるいはアクションものだとか、ーそういったジャンルなどの問題ではない。他の番組での主人公なりヒーローなりは、基本的にはみな演技している、ーすくなくとも、そう見え、感じられる。白鳥の騎士にはそれがない。「こう見られたい」とか「このように思われたい」とか、そういう意識が全然感じられない。自分がいかに「一生懸命にやっているか」とか、「こんなに正義のために戦っているのだ」とか、そういうものをいっさい感じない。白鳥の騎士が馬で疾駆するのは、一刻も早く悪を倒して、危険なめにあい苦しむ人々を救うためだ。弓と矢は、悪を阻み制止するために必要な道具と象徴だ。悪人たちと剣を交えるとき、その剣さばきは華麗だが、それは悪と必死に闘う結果として華麗になったのだ。華麗に見せているのではない。真剣に戦っているから華麗に見えるのだ。美しく見える剣さばきは、必死さの結果だ。
白鳥の騎士のこの「かっこよさ」を僕は生涯忘れないだろう。