日本文化は軽薄が強み

日本文化は軽薄でそれが強みだ。
オタク文化またはサブカルチャーと言われるものが日本で特に発達をしたのは、たぶん日本人が主流よりも傍流と思われている領域の文化に対して偏見が少ないからだろう。
漫画・アニメ・ゲーム・特撮・深夜ラジオ・CM・それにオマケや付録などのいわゆる景品…そしてそれに便乗してキャラクター商品やお菓子や玩具、Tシャツなどの衣服や小物。町興しの「ゆるキャラ」、あるいは声優業が以前以上に市民権を得て、特撮の着ぐるみに入ってアクションをおこなうスーツアクターという職業の確立。
子供のものだけと思われていた漫画やアニメや特撮ヒーローもの等が、気がついてみると大人もそれを楽しむようになる。付録や景品のような脇役と思われていた存在が、主役を喰ってしまって事実上の主役になってしまう。それはとくに漫画やアニメなどで、悪役や脇役のキャラクターが人気が上がり主役を越える役割をしていくようになっていく現象などとも通じるのかもしれない。自分は日本人は偏見が少ないと書いたが、もちろんそれは厳密な意味ではなくて、日本人にも偏見はある。偏見はあるのだが、偏見以上に、面白そうなこと、興味深いことに触れると、それを欲する気持ちのほうが優るのだと思う。「アニメや特撮は子供の観るもの」、そうかもしれない。でもそれを大人が観てはいけないのだろうか?昔、お菓子をたくさん買って、そのお菓子は全部捨ててしまった子供のことが、ちょっとした話題になったことがある。景品が目当てなので、本体のお菓子のほうは要らなかったそうだ。このことがいろいろな問題を含んでいるとして、それはそれで「それほどその景品に魅力があった」というのも事実だったと思う。オマケが本体を越える魅力を持てば、そのことじたいはさほど不自然に思わず、ある意味で「理解」をする。キャラクター商品が売れれば、たしかにそこに商業主義の問題を感じても、しかし同時に「堅いこと考えないで、楽しいもの人気があるものなのだからいいではないか」という感覚のほうが優るのだろう。
たとえば現在の50歳前後くらいの人の多くは「ルパン」と聞けば「ルパン三世」のことだと思うだろう。「アルセーヌ・ルパン」をイメージするのは、ぎりぎり60歳ぐらいだろうか。おそらく著作権が切れているのだろうが、しかし結果として、すくなくても日本ではルパン三世によって「ルパン」の知名度・認知度は確実に上がったといえるだろう。すくなくとも、ルパンに対する親しみが強く広がったであろうということは言えると思う。
日本文化…それは人も社会も、制度も産業も、思想や宗教も、歴史的な経緯を重ねた上に成り立っている。そしてそれはひと言でいうと「軽薄さ」なのだと思う。好奇心が強い、たぶんそうなのだろう。便利なものならすぐに真似し、さらに改良もしようとする。材料などが日本で不足していたら、なんとかそれに代わるものを用いて活用しようとする。そのまま使うのではなく、日本の気候や生活、それを利用する人の身長や体力や技術や経験などに見合ったものに造り替える。衣食住でも芸能や芸術でも、それが楽しい面白そうだ美しいと感じたら、すぐに真似をする。同じにできなくても、やってみる。「もどき」「ごっこ」でもいい。「これを自分たちでも出来ないだろうか」…「やってみたい」ーこれが原点であり日本文化を築いたエネルギーだと思う。それに加速度をつけるのが「軽薄」だと思う。古いものに固執しない。感情に執着しない。たしかに慎重さは大切だ。伝統の良さも守る必要がある。しかし「いいものだから使おう」「良いものだから欲しい」という素直さが強いのだと思う。疑い過ぎたり、古いものや過去のことにこだわりすぎるのはつまらない。過去との格闘を日本人は好まない。とくに言語による思索や論理的な追究は苦手だ。過去や伝統に遠慮をしない。そういう意味で日本人は革新的だ。
軽薄ということを単純に否定するべきではないと思う。軽薄だから容易に受容できるということもある。そのことを考え直してみてもいいと思う。