戦争と想像力

戦争のことは、戦争の体験者しか判らない。

では戦争を体験していない者は、戦争と、どのように向き合ったらよいのだろうか?

「本当に戦争のことを知るためには、戦争を体験する必要がある」、「戦争を体験せずに戦争を語る資格はない」

前記のような意見は、それじたいは正しいかもしれない。しかし、それ以外にも、次元を変えた別な見解をもつこともできる。

それが想像力だ。

たしかに文字通り本当に戦争のことは、それの体験者以外には判らない。それについては、今度は自分の感覚と意思の問題があるということだ。

戦争に関しての体験者からの話や資料、さまざまの情報など…たとえ直接ではなくても、間接的であっても、それらの知識から各人が受け取る想像力だ。

その想像力は人さまざまであっても、共通するのは感覚だと思う。その感覚に信頼と共感を求める以外には、ほかに方法はないと思う。

その結果は各人の自由だ。

しかし個人的には、このように思い希望する。仮に「戦争を体験せずに戦争を否定することはおかしい」「戦争を否定したいなら戦争を体験しろ」と言われても、それでも「戦争を否定する」そして「戦争を体験したくない」「ずっと戦争の未体験者でありたい」とーーそう言ってほしいし、すくなくとも自分はそう言いたい。