成長と年齢

人間は、ある程度の年齢にならないと、絶対に判らないことがある。

それが何歳かはハッキリ言いきれないが、しかし二十代のなかばとか、三十歳くらいとか…とにかく十代ぐらいでは絶対に判らないことなのだと思う。

おそらく気持ちや人間関係などを中心に、そういった微妙なことなど、それは勉強や仕事とは関係なく、まったく別なことなのだ。

どんな秀才でも天才でも、それは年齢が来なければダメなのだと思う。仮に、幼少期に結婚していようが、ひじょうに早熟で幼い子供の頃から性関係や恋愛を充分に経験していようと。或いは子供の頃、十代の前半から、さまざまな仕事や社会に関わっていようと。

つまり経験や知識や人間関係など、その人間が、質量ともに、ふつうの人の数十倍もの体験をして、

膨大な知識をもち、天才的な発見や発明をして、…

そういうことには関係がない。

ありきたりな「人生の機微」とか、人間や世の中のことが「オトナになればわかる」と言われてきたようなもの…

「それは、こういうことだったのか」

ーーそれは、そういうものでないだろうか。

一定の、ある程度の年齢に達しないかぎりは、他のどんな条件が満たされていようと…「年齢」というものが届かなれば、決して判らないことがあるのだと思う。

どんなに科学が発達しても、社会が変わっても

ある年齢にならなければ「わからない」ということで、人間は不思議なものだと思う。