情報戦

情報戦という言葉はよく聞く。軍事的なことに限らず、企業など経済のこと、選挙など政治がらみのこと、そのほか仕事や公的な問題から個人的な人間関係のことまで、世の中のさまざまなものごとに情報は欠かせない。

しかしそんなことは昔から判っていたことだと思う。よく例に出されるのは、人類が文字を発明してそれを使うようになったことが、歴史的・文明論的には画期的な出来事だったということだろう。印刷技術の発明や発達もよく言われる。電波・通信のことはもちろん、マスメディアやネット社会の発達のことは言うまでもない。

ただこれが、例えば政府や軍などの情報機関などのことになると、少なくとも普通に一般の人間からすれば、それはスパイ映画の枠とイメージを超えない。

映画やドラマ、漫画やアニメ、そういった物語で描かれるスパイなどの情報の世界は、どこまでが実際に近いことで、どこからが現実離れをした作り物の世界なのかは、素人には、まず絶対と言ってもいいぐらいに解らない。

だがそんなことはいいのだ。

殆どの人は真実を知らない。真実などは当事者しか解らないし、ものごとや状況によっては当事者でも解らないかもしれない。むしろ当事者だからこそ、かえって解らないことだってあるだろう。

まして国家だ軍だ、国際的な組織や問題に対する認識など、たかが知れている。「皆無」と言いたくなるほどに僅かなことしか解らないはずだ。

俗に言われるスパイとか諜報員とか情報機関のエージェントとか、軍の特務機関の云々だの特殊工作員とか、秘密警察がなんとか…それこそドラマや漫画でも描かれず想像もできないような「陰謀」「謀略」がまかり通っている世界でさえーーそれらの「全貌」などということは判らず、知らないのだ。

大国の指導者でも、どこかの情報機関の優秀な諜報員だろうが、外交官も、軍の高官も、暗号解読の天才、ジャーナリスト…そういう人たちでも、判っていることは、「自身が直接に関わったこと」や「自分の担当した事件」などに限られている。

SNSの時代になっても、基本的には変わらない。

SNSでもメディアでも身近な個人からの「情報」に触れたとき、その情報の真偽性を確認できる手段はないに等しい。あえて言えば、自分の直感を信じるよりないと思う。