宣伝

商品がある。モノでもサービスでも、ほかの何でもいいが、要するに販売するものが商品だ。

宣伝、広告、CM…言い方はともかく、要するに宣伝というものがある。

宣伝は商品だ。

宣伝は、それに触れた相手が、それを自分が必要だと思えば欲しくなる。

だがもうひとつ更に、その宣伝によって、必要でないかもしれないものを「必要だと思う」ようになる、そういう場合もある。

宣伝によって、本来は不要なものを必要と思い込み、その商品が欲しくなる。つまり無駄遣いをする。

良い宣伝とは、無駄遣いをさせることだ。無駄遣いが、無駄遣いだと気付かないようにする。つまり、良い宣伝であればあるほど、無駄遣いを助長させるということだ。

宣伝も商品である。

ただしそれは、商品のための「商品」である。本来の商品の価値と実際に売れる量の差が大きいほど、その宣伝は効果があったということになる。

しかし、だからといって、露骨に嘘を言ったり、脅迫めいた宣伝文句を強調したりすれば、それは問題が生じる。

その宣伝によって消費欲求が生まれたということを、消費者自身が自覚するような宣伝は、本当に良い宣伝とは言えない。本当に質の高い宣伝は、宣伝に触れて欲求が生まれたのだとしても、それは消費者自身の内部から「もともと必要性があったことを気付いた」と感じるようにさせることだろう。

しかもそれは、「自分は、なんで今までこれに気付かなかったのだろう?」というような、「反省」や「後悔」が伴うような感じであってはいけない。

消費者が「このことが判る自分は大したものだ」という満足感をもつようになることが大切だ。消費者の自尊心を満足させるのである。

つまり究極のところ宣伝効果とは、買い手が「自分の消費欲求を肯定する気持ち」を生じさせることである。