ドイツの保守化

ドイツは保守化している。保守化を悪いとはいわないが、今のドイツは国民全般の迷走状態の気がする。ヒトラーの傷痕を背負うドイツ国民は、賠償などをべつにして、移民受け入れという実践によってヨーロッパの良心を保ってきた。それはナチスの贖罪を超えて、ヨーロッパ帝国主義の残したものを背負うことでもあった。
ドイツの政権交代は、表面的な革新政権のかたちをつくり、事実上は保守化の逆戻りだ。ドイツは表面的な革新や左翼的な政権よりも、場合によっては保守政権のほうが進歩的な行動をとることが多い。
ドイツにおける移民・外国人労働者に対するとくに若者を含めての反発は、ナチズムの復活のきざしだ。一方で反ナチ教育が徹底しておこなわれ、それにもかかわらず、外国人に対する差別や暴力はエスカレートする。反ナチ教育や度を過ぎたアンチ・ナチズムや、繰り返されるヒトラー批判などが、ナチズムの復活を加速させたのではないだろうか。反ナチの教育や宣伝が、ナチズム対するマンネリ化の体質をつくってしまったというは、それが絶対にないと言えるだろうか?
ナチの残虐さやヒトラーの恐怖に麻痺してしまったのではないだろうか?
麻痺すると、それがどんな残虐なものであっても、その感覚が鈍る。
ナチもヒトラーも平気になるのだ。