主権は嘘

主権なんて本当は無い。
西洋の思想は―西洋だけに限らず、思想なんていうものは、嘘、とまで言わずとも、かなり大げさだ。言い方を変えると、理想的なことを現実のように言うこと、主張することが多い。
主権はその典型のものの1つだ。
「すべてをなし得ることができる権利や権限」…そんなはずがないだろう。もちろんそれは、政治や権力などの最終的な決定権のことを言っているのであろう。―そうであろうし、そういうことに理屈上はなるだろう。ただ、じっさいには、それは実態としてはまずないだろう。
ふつうに言われるような国民主権とか主権在民などの言葉、単語、表現などは理念的にはあっても、現実には無いにひとしいだろう。
国民主権の国民は、総体としての国民だろう。個人としての国民ではない。もちろん個人の国民が集合して総体としての国民にもなるのだろうが。
つまり個人としての国民の意思が総体としての国民の意思になって、そこで初めて国民主権が実現する。
すくなくとも自動的に、自然な状態で国民主権ではない。それを単純に個人がそのままで主権者の、ましてその権限まであるような感覚で国民主権を簡単に使うのはとうかと思う。