白線の光(5)

叶には、いわゆる承認欲求がない。
叶にも生存欲求はある。生きて、基本的に健康で、とりあえずの衣食住が賄えて、金持ちではないが「明日の暮らしも不安」ということはなくまあまあやっていける、家事が得意かどうかはわからないが少なくとも自炊中心の節約して健康的な食事はできている、そしてその上で自分が何よりも好きな特撮を楽しんでいる。これらを生存欲求と生活欲求、あるいはまとめて生活欲求なり生活欲求なりという言い方をすれば、基本的に叶はそれを充たしているといえる。
社会欲求はどうかといえば、叶は社会欲求も満たしていると思う。会社で仕事を普通にやりこなしていて、同僚たちからの評判もよい。べつにバリバリの仕事人間ではないし、また特別に男性社員から注目を浴びるといった存在でもない。だからこそ、特別に多忙に追われることがなく、へんに色恋沙汰を引き起こすこともそれに巻き込まれることもない。だからこそ、叶は必要以上に時間や労力を裂かれることも少なく、あれこれと余計なことに神経を使わなくていいし、やたらと付き合いに出費することを抑えることもできる。それによって、カネと時間と労力と、さらにはアレコレ面倒な精神的な煩わしさなども最低限にすることができる。そしてその余力は、すべて特撮に向けることができる。叶にとっては最も重要な特撮という生きがいを充実することができている。
そして叶は、そういった生存・生活・社会における基本の部分をしっかりとやれて、そこに自身の楽しみである特撮を堪能している。ときには必要に応じて、人間関係での改善に努力することもある。仕事な職場の在り方に自分の主張をすることもある。彼女は普段できるだけ余計なことに首を突っ込んだり面倒な関わりなどは避けたいと思っている。親切心はあるが、必要以上のお節介をするわけではない。ただ仕事なり倫理的なことなりでも、人間関係の問題でも、それが自分自身が直接に関係して、自分が納得できないことに対しては、きちんと自分が為すべきことをしようとするし、それが本当に大切なことだと思えば、それが言いにくいことであってもきちんと言う。
つまり彼女は、自分の身を守り保身的ともいうほど慎重で臆病とさえ言える。しかし本当にここは大切だと感じたときは、勇気も奮い起こすし判断力もすぐれている。生活基盤をしっかりと守り、格別に目立った振る舞いをするわけではなく、しかし基本的な社会常識をもって生きている。その上で、自分の好きな特撮ということを、徹底して楽しむ。その生き方ができれば、彼女はそれ以外のことはのぞまない。とくに自分がひとからよく思われたいとか好かれたい、チヤホヤされたい、注目を集めたいーーそういう欲求が、いっさいない。自分が、ひとや周りから求められたい、必要とされたい、それもない。
叶を見たとき、僕は本当に自立した人を見たと思った。自立した人は無数にいるが、叶という具体的な人物の存在によって、初めてそのことを実感したということだ。
僕は、とても叶のようにはなれない。それは及ばないだろうが、でも叶の生き方を見ていると、強く励まされる。