白線の光(1)

叶(かの)は、叶だ。
どういう感じでヒーローを「かっこいい」と言ったとしても、「エマージェイソンも来る!」と胸躍らせた記憶がいつのものであったにせよ、それは叶だけが知っている。
僕は受像機を通してその向こうに映る映像を観ているにすぎない。だがそれは当然で、それが叶の何かを変えるわけではない。変わるとすれば僕のほうだと思う。
特撮を忘れていた。と叶は言っていた。本当に完全に忘れていたのかはともかく、彼女はそう言っていた。すくなくとも、特撮を離れて、ふだんは特撮のことを考えずに過ごした日々がしばらく続いていたのはたしかなのだろう。それでも高校生の頃の彼女は楽しそうだった。
記憶も経験も感性も、その人が生きる動きと経緯のなかにある。叶が生きた、そして生きている瞬間瞬間の姿が1枚1枚のカット割りのスチールのように視る者の残像にと焼き付く。
そこに叶との直接の対話がないとしても、特撮と充実した時を過ごすことを求めて懸命に日々を生きる、ひとりの人間の姿は確実にそこにある。
これは不自然ではない。それを見る者の躍動の芯に火をつける。