攻撃的な姿勢で戦争は終わるのか

最近プーチン大統領に対する攻撃的な声がめだつ。「プーチンは暗殺されればいい」「プーチンに懸賞金がかかっている」真偽や細部は判らないが、プーチンを目の敵にするような風潮が強いことはたしかだと思う。
プーチンのしていることは横暴だし、プーチンが死ねば戦争が終わる確率は高いと思う。ただ後継者がどのような動きをするかは判らない。もしかしたら、プーチン以上にひどいことになるかもしれない。
それはべつにして、世界のメディアを含めての風潮が、プーチンを「悪の極み」のように描き、すべてのものごとの「諸悪の根源」であるかのように批判し攻撃する感覚は、その感情は判るとして、しかしなにか普通でない気もする。たとえば、ウクライナの軍や政府などが仮にプーチンを殺害することがあったとして、これは交戦国の片側が敵国の最高指導者で敵軍の最高司令官を倒す行為だから、これは不思議ではないと思う。ただ世界的なムードであるかのように「プーチンを殺せ」「プーチンは暗殺されてしまえばいい」というのは、やはり真に平和を求める姿勢とは少し違うような気がする。とにかく戦争が早く終わることが大切で、プーチンが死ぬことで和平が実現するのならばそれでいい、ということは言える。それは否定しない。だがそれとまた別次元で、もうひとつ、戦争を終わらせる、殺し合いをやめさせるというのは、「戦わない」「殺さない」という、根底からの非戦の思想と行動から実現が可能なのだと思う。
プーチンを倒せ」「プーチンを倒せば戦争が終わる」、それはいいとしよう。同時に、プーチンのことは置いても、ただ無条件に戦闘をやめること、銃を下ろし、武器を捨てること。これを、ただちにしてほしい。そして少しでも早く停戦をしてほしい。