国際義勇軍を考える

ウクライナ=ロシアの戦争に関して、日本国民のなかにも国際義勇軍に参加しようとする人々がいるときく。
ここで考えねばならないのは、義勇兵を応募したウクライナで求めているのは、軍事能力だということだ。侵略を受けているウクライナがそれを求めることは普通のことであり、それに対して第三者が、あれこれ言うことではないと思う。それを前提にしてのことである。
現に戦闘がおこなわれていて日々人々が命を失っているときに、少しでも武力によって武力からの被害を防ごうとすることは判る。ただ、じっさいにそれで、ロシア軍の攻撃を防ぎ、弱めることができるだろうか?できない、とは言わない。できないとはいわないが、確率的にみてどうだろうか?私は軍事的なことは解らない。しかし素直に考えて、抵抗するほどにロシア側は、さらに強行に強大化して、激しい攻撃を続けるのではないだろうか。そうなればウクライナの被害はさらに増大する。より加速度を加えてウクライナの人命が失われていくだろう。それは避けなければならない。
国際義勇軍と聞いて何を考えるかは個人差があるだろうが、もし例えばスペイン内戦のようなイメージをいだくとしたら、今回のウクライナ=ロシアの戦争はそれとは違う。反民主的な軍事行動に対して、それから民主的な政府を守るための支援行為に対して、今回の紛争は独立した国家と国家のあいだに行われている戦争、あるいは事実上の戦争である。そこへの参加は、個人の資格であっても、たとえ法的にどう解釈をしても、ロシアから見れば、政治的には「参戦者」となるだろう。戦争の拡大化を助長させるようなことは、あきらかに平和の方向とは反対の行為になる。まして現実にロシアが圧倒的に優位な軍事力を持つなかでは、戦いの規模はますます大きくなるばかりで、戦禍はひどくなるだけだろう。
義勇兵を希望する日本国民のなかには、自身がウクライナの人々を守るための楯になりたいと言った、ーその真偽や詳細は解らないがー、仮にそうだとして、それでは本当に「楯」になることができるのだろうか?それは前述してきたように「できない」と思う。繰り返してきたように、それは戦闘を激化させることになり、結果的に、より多くの人々の生命や生活を失うことになるだろう。
義勇兵は傭兵ではない。もし目的がウクライナの人々を守るためであれば、それが自分の目的に本当に合致するものかどうかをしっかり考える必要があるだろう。