特撮偏見ダイアリー(2)

僕が3歳から7歳ぐらいにかけて夢中で観ていた特撮ヒーロー番組にあたるものは、たぶん撮影技術においても、ヒーローや怪人のコスチュームやデザインでも、そしておそらくストーリーやテーマ性も、また演技や演出も、現在のものにくらべて未熟なものだったのかもしれない。だが必ずしもそうであったと言い切れる自信もない。
じゃあそれはともかく、自分が幼少時の頃の特撮は、まず「変身」というものは無いか、ほとんど記憶にない。ヒーローがなにか特別なポーズをとって登場する場面も記憶にない。すくなくともそれが印象深かった、という記憶はない。ロボットは出てくることはあっても、いまのように頻繁でなかった気がする。ヒーローの姿かたちも、仮面やアイマスクあるいは覆面やターバンといったものが多く、それらは人間が素顔を隠しているというニュアンスだった。いまのほうがあきらかにメカニックな印象がする。ヒーローも、悪の組織や首領にせよ、敵対する相手も、宇宙人とか地底人といった、ふつうにいうところの人間以外という設定は、あるにはあったが少なかった気がする。ヒーローや怪人が空を飛ぶということも、あまりなかったと思う。総じて現在のほうが、よりSF化しているといえる。
七色仮面」は当時としては、かなり珍しくヒーローは頭部をすっぽりと仮面で覆っていた。ただ、その仮面は人間に近い造た。またヒーローも、変装が巧みであるという設定はあったが、それ以外では普通の人間だったと思う。それだったら考えてみれば悪者設定という違いはあっても、怪人二十面相だって変装の名人だし、こちらのほうが先輩だ。またのちに知っていくことになるが、多羅尾伴内という変装の巧みな探偵のシリーズがある。しかし子供のことだ。こんなことはどうでもよくて、その時々にやっていたヒーローに夢中になって、わくわくしていた。
「アラーの使者」は、ターバンをして、鼻から下を布で隠している。それだけに目の印象が深くイメージされた。これも、跳びはねたり高いところから飛び降りたりという運動神経の良さを見せてくれたことはたしかだし、子供ながらにそこに憧れもしたが、ただアラーの使者もやはり基本的には人間だった。
「ナショナル・キッド」は、ヒーローが宇宙人の設定だったから、当時は珍しかった。そして空を飛んだ。この空を飛ぶということが、すごく嬉しかった。理屈は解らないが、とくに子供にとって「飛ぶ」ということは、とても強い憧れだったのだと思う。
ロボットは、当時も登場はした。しかしかなり珍しかった印象があり、貴重だった感じがする。実写の「鉄腕アトム」や「鉄人28号」もあったが、それらについてはボンヤリした記憶しかない。「怪人二十面相」「少年探偵団」とタイトルは変わったが、たぶん内容は同じようなものだったと思う。二十面相が作るロボットで、とても印象深いものがあった。鼻がピノキオのように突き出ていた。目は笑っていて、たぶん三日月目のようだったのだと思う。警官たちの撃つピストルの弾丸にびくともせず、ロボットは拳銃の弾丸を跳ね返して突き進んでくる。ロボットは煉瓦か何かの塀を突き破ってどこかに去って行った。塀はロボットの形が空洞にくり抜かれていた。
怪獣はテレビの特撮ではほとんど見た憶えがない。例外がナショナル・キッドに出てきた恐竜のような、あるいはトカゲかワニのような頭の怪獣だった。あとは「マリン・コング」という恐竜型の怪獣だ。これはのちに知ったことだが、いわゆるロボット怪獣という設定だったらしい。
もちろん、それらの番組は、その後の十年後、二十年後さらに現在に至るまでの特撮とは相当に違う。僕が幼年期に観ていた特撮から、およそ三十数年間も時間が経過している。ふれたものの違いや変化が、いかにそこから受ける感覚やイメージが異なってくるのかを感じずにはいられない。