戦争に国際法など無い!

私は国際法を知らない。だから国際法などあっても、それを信じない。まして戦争中の法律など無意味だ。
ロシア軍が市民を殺したという。それは悪いことに決まっている。メディアが報道しているように戦争犯罪だとか国際法違反だからという意味ではなくて、殺害や残虐行為があり、人々が被害を受けることが悪いと言っているのだ。戦争犯罪などという表現じたいが欺瞞だ。戦争は犯罪に決まっているではないか。
国際法違反というが、戦争なのだから国際法などが守られるはずがない。だから国際法を破っていいなどとは言っていない。国際法というものがあるなら、それを守るのは前提であろう。ただ戦争になれば、じっさいには国際法などは無視される。国際法を厳密に守りながら戦争など出来るものではない。何故か?理由は、戦争だからだ。それが戦争であり、戦争の実態であり、そして戦争の本質なのだ。
もし「戦争になっても、自分は民間人だから安全だ」と思うなら、それは間違っている。戦争になれば、軍人も民間人もない。いちおうはそういうことを考えたとしても、民間人と軍人が混ざっている場合、たいていは容赦なく攻撃される。基地や軍事施設の近くに病院や学校や民家があったら、いっしょに攻撃をされる。たとえ病院や学校を標的にはしなくとも、その余波で被害を受ける。いま述べたことは、まだましなほうで、たいていの場合は、まず「十把一絡げ」に攻撃される。戦闘でそんなことを、いちいち考えていられない。そんな余裕はない。ルールを守って戦えるぐらいなら、最初から戦争などしない。倒すか倒されるか、殺すか殺されるか、そういう状況で理性的に判断することは不可能だ。
たとえばこれは民間人ではないが、衛生兵という軍人がいる。軍人ではあっても、非戦闘員のように扱われる。衛生兵は武器を持たないし、武器を使用してもいけない。しかし戦闘のときには、衛生兵にも銃弾は飛んでくる。あえて衛生兵を狙っているかどうかはともかく、じっさいには衛生兵もなにもお構いなしに攻撃する。鉄兜に赤十字が描かれていても、相手はそんなものを見てはいない。そんなことを気にする余裕があるワケがない。ーーみな何か勘違いをしていないだろうか?戦闘とは、戦場とは、ルールを守って戦う「時」でもなければ「場所」でもない。しょせんは敵を攻撃することが目的で、それに際して、「できればルールを守った上で」ということに過ぎない。あくまでも「できれば」、である。しかもその「できれば」でさえタテマエで、殆どの場合は、それさえもできない。
そして最も恐ろしいのは、戦争になると、戦争独特の感覚になり、通常の思考や判断ができなくなる、ということだ。それはパニック状態といってよくて、しかも普通の事故や災害などに比較しても、ずっと恐ろしいパニックに襲われる。恐怖に憎悪が加わる。それが集団的に起こる。さらにそれに民族や宗教、思想、国家などの背景が加われば「恐怖と憎悪」は倍加する。捕虜は虐待してはいけない、一般市民を殺してはいけない、民間施設や赤十字を攻撃してはいけないーーそれは守られない。わかっていても守れない。あるいは忘れる。現場の戦場、戦闘状況においては、とくにそれは多い。
そしてそれは最前線の戦場だけではなくて、後方の部隊や司令部などでも同じことが起きる。もちろん程度の違いはある。しかしそういうときの状況というのは、一種の感覚が空気のように伝染する。恐怖と憎悪の感覚に取り憑かれるようになる。こういう状態のことを「戦争パニック状態」と言っていいと思う。
戦争パニック状態は、軍隊だけではなく、政治や社会、国民感情などにも伝染する。国家の戦争に対する考えや方針そのものも変えていく。普通の理屈や常識は通用しなくなる。
戦争になれば国際法など、いとも簡単に無視される。一般市民の虐殺もあるし捕虜の虐待もある。赤十字の旗を立てた病院も爆撃を受ける。使用が禁止されている毒ガスや細菌兵器も使われる。民家を焼き払い、大量の市民が虐殺され、強姦や略奪がおこなわれる。各国の報道陣が派遣されて、カメラマンやジャーナリスト達の目の前でさえも、公然とおこなわれる。ましてメディアに見られていないところではどうであろう!?ーーそれが戦争だ。それが戦争のもつ恐ろしさだ。
繰り返し言う。戦争に国際法など通用しない。戦争は、すべてを裏切り、奪い、破壊する。だから戦争になったら最後なのだ。戦争は犠牲者を生む。その犠牲者を「尊い犠牲」などというのは欺瞞であり偽善だ。その犠牲によって得られるものとは何かーー賠償金か?領土か?利権か?国家の名誉か?それとも主権や自由のような理念か?そのような美名を理由に、人々の生命や人生を奪ってもいいのか!?ーーよくはない。それはしてはいけない!犠牲を肯定し、犠牲を強制し、犠牲を賛美するような言い方は「全体の利益のためには犠牲は仕方がない」という全体優先の思想に等しい。これは「切り捨て」の論理だ。
犠牲を出してはいけない。戦争は犠牲を強いる。犠牲を強制し、また犠牲を強制されることが戦争なのだ。だから戦争そのものをなくさなければならない。国際法に関わりなく、戦争はしてはいけないのだ。