「ウクライナ頑張れ」と人命第一は別な理念

ウクライナ頑張れ」はいい。だがそれはあくまでウクライナの人々の気持ちや立場を尊重する、というその理由と目的のために、ということに限定される。当然ながらウクライナ人にも、いろいろな立場や考え方の人々がいるだろう。それぞれの人を尊重しなければならない。
ウクライナが抗戦を続け国際社会がそれを支援し、結果、ロシアが撤退してウクライナの独立と平和が取り戻されるなら、それはいい。ただしそれはいつになるか判らないし、そのあいだにも人が死んだり傷ついたりしていく、という事実を見落としてはならない。ウクライナの人々の民族的アイデンティティを守る気持ちは当然に尊重されなければならない。ロシアの横暴に屈服するいわれはない。しかし同時に、少しでも早く、たとえ1分でも1秒でも早くに戦闘をやめることは大切だということだ。現にこうしているあいだにも、次々と人々が死んだり傷ついたりしているのだ。
結論を言えば、国際社会は全力をあげて停戦に努力すべきだ。停戦後にどうなるかは正直、判らない。それは判らないが、しかしいま最も重要なのは、「いま現に行われている戦い」を、やめられる方向にもっていくこと、それがいちばん大切だと思う。先のことはたしかに大切だ。だから先のことを考えるな、というわけではない。だがそれはそれとして、いまはまず戦闘をやめることだと思う。先のことを考えるのはいいが、しかし「先のことを考えると停戦は困難だ」というのは、それはちがうと思う。それは、いくばくかでも余裕のある場合に言えることだと思う。現にいま人々が死に続けているときに、その猶予はない。
個人と集団、私的と公的、民間と行政、民族と国家…それらを越えて、おしなべて国際社会は、全力で一刻も早く停戦をめざし努力すべきだと思う。