御都合主義に決まっている

人間は御都合主義に決まっている。

たとえ自分で、どんなに「自分は絶対に御都合主義に考えない」と思ったとしても、必ず御都合主義になるのだ。自分がそう認めないのは自由だが、御都合主義になるというのは、事実なのだ。

ならば御都合主義を当然として生きたほうが楽で自然態だ。

感じ方しだいだ。

受け止め方ひとつだ。

考え方も解釈の仕方も優先順位も、好きも嫌いも、優劣の序列も、ぜんぶ自分が都合よくやっている。そう思っていないつもりでも、そういうふうに人間はできている。

感情や体験で、その時々の状態で、ひとは、どのようにもなり得る。

自分の気持ちや状況しだいで何もかも変わる。それでいい。すくなくとも、それはいちばん素直な生き方だと思う。

自分都合に考える

自分都合に考える。

すべてのことを自分が都合のよいように考える。

ただ注意すべきは、その自分都合の考えが、本当に自分にとって得になることかどうか?それだけは、しっかり考えたほうがよい。

その「自分にとっての得」の内容は、広い。

その「得」が、金銭的なことでも、物質的なことでも、精神的なことでも、身体的なことでも、社会的なことでも、人間関係のことでも、公的なことでも、私的なことでも、

いっさい問わない。

いっさい問わないから、自分の触れる、自分の感ずる、自分が大切だと思うことすべてに対して…

「これが自分にとって」「自分が考えられる限りのことで」、自分にいちばん「得」だと思うことを選ぶ。

本当に「自分都合」で考える。

ヒトラーが馬鹿な理由

ヒトラーに限らないが典型的な人物としてヒトラーを挙げる。

ヒトラーの間違いは色々あったと思われるが、最も大きなものは、優生思想だろう。

余計なものや劣ったものを排除する。目障りなものをなくす。

しかし実際には、劣っていると思われたり、規定の仕組みを外れてしまったり、そういうことから新しい発見・発明・発想などが生まれる。

ヒトラーは、なんでもかんでも、優劣や必要・不用で選択した。

「正しい」「美しい」「強い」そういう、一見「肯定的な価値観」に思われることのみを望む。それは、一見、「否定的に見える価値観」、間違いや失敗、常軌を外れているように見えるものや破天荒なこと、ちょっとみると劣っているように思われること…等々の中から、様々な飛躍や発展がある。

ヒトラーは、無益と思われたもの、嫌いなもの邪魔なもの、劣等と思われたものを、ことごとく排除することで、自分の首を絞めることになった。それがヒトラーの最大の愚かさである。

心と環境

心とか精神とか言われるものは、すべて環境のことだ。精神的なものは環境の支配を受けるとかいうよりも、心=環境ということだ。環境があるだけで、実際には心とか精神とか気持ちといったものはないということだ。

個というか個体もちろん個人というものはない。だから厳密には環境というのも正確でない。

個とか個体とか個人というものじたいがない。それでも個人や個人の意識などがあるように感じているので、あえてそれを個や個人と言っているのだ。

人間そのものが環境だから、心や意識や精神や気持ち等々と言っているものは、すべて環境の動きにしか過ぎない。

だから気持ちや感情だのということにこだわるのは、いかにつまらないことなのかが分かる。

男の未来

男は暴力的かつ権力的である。

すべて、あるいはすべてとは言わずとも、大半の男が、いわゆる草食男子と呼ばれるようになることが望ましい。そうなれば、世界は、少なくとも現在より遥かに平和になるだろう。

男の多数が草食男子化にならない場合は、男の出生率が低くなることが望ましい。

科学の発達によって、人工的に精子が作れるようになれば、なお望ましい。男は要らなくなり、自然消滅する。

男が1人もいない女だけの世界になる。それはそれでまた様々な問題はきっとあるだろう。しかし今の世の中よりも良いと思われる。

特別ではない人類

人間とか人類とかは、べつに特別な生き物ではない。人間が勝手にそう思っているだけのことだ。

人間ならではとか、人類に固有の、などというのも、とくに根拠や確信があってのことではない。

ヒトは本能で生きている。本能のみで生存している。思考だ理性だといっても、それも本能の1つの形や表現なのだ。

人類がどうのと、こだわる必要はないし、バカらしいことだ。

投票と選挙結果は無関係

選挙において、自分の投票とその選挙結果は無関係である。少なくともその投票者の意思は反映されない。選挙結果は、選挙という行為によってつくられるのである。有権者の潜在意識などを含め、その総体が生み出す、それじたいが生き物のようなものである。しかし有権者、国民の総意であることは確かだ。

投票率などは、どんなに低くてもかまわない。低い投票率、さほど高くはない投票率、その選挙結果は国民の総意と考えてまず間違いはない。

それは相当に民主的な世の中だと言えるだろう。