不幸は自我の目覚めから始まる

自我の乏しい時期は幸せだ。漠然としていて余計なことを考えない。「近代的自我の確立」などというのは、西洋の支配による幻想だと思う。互いに個性は尊重しあう。しかし個人は周囲と協調して幸せになる。これが本来の人間の姿のように思う。太古にはおそらく自我はなかった。きれいごとを言っても、自我は権威的なエゴを求めるだけだと思う。