政治は生活の公的化

政治が生活と関係していることは確かだが、それを感じにくいことも確かだ。たとえば基地の周辺の住民にとって日米安保は関心事かもしれないが、それ以外の人には無関心でもおかしくない。高齢者に年金や介護が重要でも若者にとってはまだ先のことだ。円やドルが高下して、輸出産業と海外旅行に行きたい人では意味が違ってくる。都市の再開発も、一般の消費者と商店街では、だいぶ立場が違うだろう。
無数に、と言っても大げさでないほどにある世の中の問題や課題を、すべて公平に見れる人間など、どこにもいない。そもそも何をもって公平かも言い切れない。
だから政治は、一般にいう人々の生活や人生とは、乱暴に言えば「別次元」のものだと思う。社会は、生活と政治の二つで動いているといえる。ただ、日常の生活も、政治に関心のあるなしに関わらず、結果的には「政治から少なからず影響を受ける」と、それはいえるだろう。では生活のために政治を変えられるかといえば、それは、できるかもしれないが、かんたんではない。生活は個人のことで、政治は公的なものだからだ。生活が公的な意味をもったとき初めて、生活は政治になる。
生活、社会、政治…この三つは異なるものでありながら、つねに連動して影響を与えあっている。