公家物語(11)

スマホを見ていた公家は、ラインのニュースを不服そうに眺めていた。放っておいても、勝手にニュースが送られてくる。それはいいとして、内容の多くが何故か軍事的なものが増えている。コロナ、温暖化、移民の問題やウクライナの状況などはまだいいとしよう。日本周辺のどこの空母が潜水艦がのと、いかにも日本の安全が脅かされているような記事だ。
日本の安全など判らない。せいぜい核や細菌兵器などを使われない、全面戦争にならなければよしとする。そうでなければやっていけない。戦争になればロクなことにならない。それも判らないような唐変木な阿呆どもにーけッ!な~にが、国防だ!自衛権が聞いてあきれる。まず最低限、戦争をしないのが自衛だろうが!…いつの時代のことを言っているんだ!?正義だァ?国際法だ??ーふん!そんなもんはないをやだ。無いんだよ!!国際社会にあるのは事実だけだ。「事実」があるだけなんたよ。他国や他民族を批判したとき、その時点で負けなんだ。自国の道理だの、なんとか国の横暴だの、他国の指導者の非礼だのをつべこべ言うことが、すでに自国を窮地に追いやっているのだ。
公家社会だった頃、たしかに民主主義はなかったかしれん。法整備なんて今からみてガサツだったかもしれない。しかし軍事力が弱かった。ちゃちなものだった。平安中期の貴族なんて臆病で卑怯、プライドだけ高くなんの実力もない。ーだからいいのだ。そんなもんは軍事力など持てるわけもないし、仮に何かの間違いで持っても何もできない。烏合の衆だ。だからそれがいいのだ。軍事力を頼りようがない。
平安朝の政治も軍事も駄目なんだ。駄目が強みなのだ。
第九条は、国をダメにしたんだ。ダメだからいいのだ。平和ボケにしたんだ。それが何が悪い?戦争しない、戦わない…それさえ守っていればいいのだ。軍事や国防意識などというものが頼りない、あてにならない…それがいちばん安全なんだ。
公家は思いのたけをぶちまけた。言うだけ言うと、公家はスマホをテーブルの上に置いた。
公家は虚脱感に襲われた。