公家物語(9)

とうぶん選挙はない。公家はそれでいいと思った。公家のいた社会には選挙はなかった。とうぜん庶民が直接政治に関わることはない。直接は関わらないが、全く政治と無関係だったのかと言えば、どうもよくは解らない。荘園がどんどん増えていき、武士という存在が現実の力を持つようになって。京の都では相変わらず摂関家を中心に権力争いが続いていたが…ま、しかし権力争いそのものは、いつの時代だってある。かたちを変えて生き延びる。
こんなこと考えたって仕方ない。ーそう思っているのに、つい考えてしまう。公家は下っ端の実務役人だった。よほどのことがなければ五位止まり、よくって四位の端っこにぶら下がり、それで生涯を終えるだろう。公家は努力家ではない。秀でた才能があるわけでもない。かといってべつに要領がいいわけでもなく、人付き合いだって上手いほうではない。ふつうに考えれば、芥川の「芋粥」の五位のような存在だったと思う。それがなんとなく上手い具合にいったのは、ひと言でいえば運が良かったのだろう。べつに幸運に恵まれていたという表現も、ちょっと違う気がする。幸運に恵まれているのなら、最初から名門の家に生まれていただろう。もっとも、それはそれで別な苦労があると思うが、またそれは違う話だ。
公家は平安中期、いわゆる摂関政治の全盛時代に生きていた経験から、その頃の世の中を、現代の大雑把なもののように感じていた。もちろんシステムも人々の意識も、それに科学技術が圧倒的に差があることなどを前提にしてだ。うまくは説明が付かなかった。頭の中でも整理はできていない。ただ少なくても世の中の根本の仕組みというのは、大きく俯瞰で見ると…あまり変わらない気がするのだった。
SFのような完全なオートメ化した社会はべつにして、基本的に社会は生産者が必要な物資を世の中に供給する。それを具体的にするのは庶民だ。この庶民かどうかはべつにして、いわゆる「弱者」「少数派」といった人々がいる。次で生産者の中でも、それを管理したり指示したりする運営者がいる。そして社会を公的に管理する者がいて、その上に全体を決定する運営者がいる。…まあそんなところだろう。
摂関政治に民主主義があった、とは言わない。令和の世の中は民主主義だろうから、いくらかはましなのかもしれないと、公家は思った。