公家物語

公家ほど非合理的で効率の悪い存在はない。だから公家の意味は、役に立たないことにあるのだと思う。
あの不必要に仰々しい衣裳。重く動きずらく着脱に時間を要する。儀式、作法、形式主義…そう、それはまるで「形式」が着物を着て歩いているようなものだ。
それにも関わらず身分や位階だけは高いという無意味中の「無意味」それが公家だと思う。公家は庶民に比べれば地位が高いことは言うまでもないが、だが公家の中ではその地位の高下の差は大きい。要するにピンキリなのだ。公家の殆どは「下っ端」で、この下っ端公家が大半を占めている。それどころか、中堅以上から相当な重要な役職までが地位的には下っ端なのだ。文字通りのごく「ひとにぎり」の上級公家だけが意思決定機関のトップクラスにいる。そしてこのクラスの公家は、ごくまれな例外的な人を除けば、たいてい能力のとても低い人たちだ。それで成り立っていけるのが公家社会だ。だからそんなのが「お公家さん」の社会であり文化なのだ。
だからこそ、理屈や論理では割り切れない源氏物語枕草子、あるいは古今和歌集に代表されるような「みやび」な貴族文化も生まれたのだと思う。