ジュニア小説は良い

昔、自分が小学生の終わり頃に、ある人から「名作などは大人になってから原作を読んだほうがいい」「子供向けに直したものを読んでしまうと、それでホンモノを読んだ気になってしまう」…そんな意味のことを。
でもそれから半世紀あまり経って、やはり名作のジュニア化されたものや、いわゆるリライト版とか、そういうものを読んでおくのは良いことだと思うようになった。
とくに外国語が原作のものは、それを読む場合、主に3種類ある。本来の言語である、それが最初に書かれた言葉。この場合は、発音は同じ「げんご」でも、どちらかと言えば「原語」というほうが漢字で書かれたものを読んだときには分かり易いかもしれない。ただ、紛らわしいので、会話など話し言葉ではあまり使わないほうがいいかもしれない。それでーこれは要するに、いわゆる原書のことだ。これで読めるならそれにこしたことはないだろう。だが、自分を含めて、普通の日本人は、そんなに語学が出来ないと思う。英語だって、初歩の英文をどれくらい読めるだろうか?ましてそれがドイツ語だフランス語だ、あるいは中国語や韓国語…いえばキリがないほどの言語が存在するなかで、それは事実上は不可能だ。もちろん、その方面の専門家であるとか、仕事などで勉強せざるを得ない人はいる。そうでなくても、やはり原典に触れたいという人が、地道に辞書を調べながら読んでいくのも、それはそれでもちろん素晴らしいと思う。ただ無理をしてまでそうする必要もないだろうと僕は思うだけだ。そうしたい人は、そうすればいいだけのことだ。
それで、では無理をしてまで原書だの洋書だのを読むこともないとすれば、普通は、いわゆる翻訳を読むことになる。普通に出版されている文庫本をはじめとして、いわゆる単行本なり全集なりの1冊(もちろん全集を丸ごと全部読む人もいるだろうし、それはそれでいい)として…普通に翻訳本で読むわけだ。この場合の翻訳本・翻訳書というのは、基本的には原書にできるだけ沿って忠実に訳されたものだ。もちろんその訳者の個性は表れる。それが翻訳書というもので、そこにも読書の楽しみがある。それは、もちろん原書・原文が大元なのは確かだが、しかしそれは前提にした上でー翻訳者の手が加えられた…というと語弊があり誤解を招く危険もあるがー原書とはまたべつのものがあるのではないかと思う。それはもちろん原書ではない。しかし翻訳書は翻訳書としての、それはそれで立派にひとつの作品なのだと思う。
それで…子供向け、低年齢の読者を対象にした翻訳書はどうなのか?という話だが。これもひと言で言い切れないものがあると思う。小学生の低学年を対象にしたものは、原典の骨格は変えないとしても、それ以外は出来るだけ削除したものが多いかもしれない。しかしそれがいけないとは思わない。もちろんそのやり方で大きく違いも表れるだろうが、それなりの専門家が考えて訳するのであれば、ある程度たとえば小学校3年生くらいの子供が読んで、どのぐらいまで記して、どんな表現にしたらいいかは、きちんと考えるのだと思う。結果、それが仮に原著の数分の1、あるいは10の1の分量であっても、それはその年齢の子供にとっては相応しいものなのだと思う。分量のことだけでなく、ストーリーや内容面でも、原著をかなり大きく変えていることもあると思う。僕は、それでもいいと思う。むしろそのほうが良いという場合もたくさんあると思う。ただその場合は、そのことを本の解説や前書きなり、あとがきなりにひと言触れていてほしいとは思うが。自分に記憶では、たいてい「わかりにくい内容は訳さなかったり、話のすじを変えているところもあります。みなさんが大きくなったら、ぜひ原作を読まれることをおすすめします」といったことが書かれたものが多かったように思う。
僕自身は、そういったジュニア版の名作を幾冊か読んだのは、小学生の6年生の頃だった。1969年が主で、あとは1970年の初めぐらいまで、約半年間くらいの期間だ。殆どは偕成社で出版されていたものだったと思う。偕成社のジュニア版の世界の名作のシリーズも数種類のシリーズがあった。自分はそれらの中でも、とくに「小学校高学年~中学生」くらいを対象にしたものだったのだろう。ハッキリとは言えないが、原作をかなり換骨奪胎したものだったのだろう。でもその時期は、それらを楽しんで読んだ。
それらのジュニア版では、正確には思い出しきれないが、ジュニア版のみを読んでその後も現在まで原作は読んでいないというものが「嵐ヶ丘」「二都物語」「ロンドン塔」「大地」「ジャン・クリストフ」「愛の妖精」「魔の沼」「オルレアンの少女」「君を知るや南の国(「ウィルヘルム・マイスターの修行時代」)…などだった。
一方、その後に普通に大人向けに翻訳をされたもので、あらためて読んだものとしては「ハムレット」「オセロ」「ファウスト」「大尉の娘」「外套・鼻(ゴーゴリ)」「罪と罰」「薄倖の少女(ドストエフスキー「虐げられた人々」)」「戦争と平和」「信号・あかい花」…などがあった。大人向けの翻訳書を読んで、おおよそは同じだと思ったものもあれば、かなり違うのだなと思ったものもあった。たいていは原作のほうが深みがあると感じることが多かった気がするが、でも「罪と罰」はジュニア版のほうが好きだ。もちろん自分はロシア語など解らないし原著のことは知らない。だけど大人向けの普通の翻訳書は5~6回読んだと思うが、今でも自分は偕成社のジュニア版のほうがいい。最初に触れたものだから、より印象が深かった、ということはあるかもしれない。しかしそれならば、ほかの本でも同じことが言えるだろう。たしかに原作のほうが人間や宗教のことなどを深く描いていたのかもしれない。でも自分にとっては、小学生の終わり頃に読んだあの偕成社の子供向けに訳されたものこそが「罪と罰」だという実感がある。ジュニア版は、人間がみな良い人々に見えた。とくにラスコリニコフ心理的に追い詰めていく警官(原作では予審判事だが、ジュニア版では子供にも分かり易く警察官の警部に変えたのだと思う)には、ラスコリニコフを思う優しさが強く感じられた。原作でもそれは描かれているが、ジュニア版のほうが素朴な、でも誠実な愛を感じた。
「良いもの」とは何だろう?それは気持ちに響くものが、みなそれぞれに良いのだ。ジュニア向けの名作は、そういうものなのだと思う。そこに子供に対してやさしく書き直され、翻訳をされた本の意味があるのだと思う。