流行と民主主義

民主主義とは、流行の政治権力化のことである。流行のジャンルや内容の良し悪しには関わりなく、流行っていることが巨大化し、さらにそれがあるていど以上の期間に渡って継続すると、政治的な力を持つようになる。
流行こそ最も多数の人々の要求や欲求の正直な現れだといえる。それは、趣味や嗜好であろうと、生活習慣からくる不満でも、いじめや差別問題であろうと、金銭的な苦しさでも、人間関係の窮屈さであろうと、ーーなんらかの不安と不満、無意識であっても秘められた欲求やーーそうした人々のそのなかでも「多数」を占める者たちの声が反映されたものーーそれが流行だ。
文字通り流行をあらわす「流行語」というものがある。衣装に代表されるファッション、音楽、ベストセラーの本や人気ドラマ、もちろんそれらに市民運動などの社会活動なども含まれる。
それら様々の「多数派」が社会現象になったものが流行だといえる。それが政治の世界で具体的に実現化すると、それが権力になる。
共通の多数派の政治権力化ーー流行を権力化することこそ民主主義である。

関わりのウルトラセブン

なんでもある程度はそうかもしれないが、具体的な関わりのなかで必要なことや大切なものは見つかるし感じる。「私が愛したウルトラセブン」は、明らかに「関わり」から必要が生まれて、その結果として、みなの考えや判断も生まれてくる、それを自然な感じで判るドラマだ。だからこういうものは、ありがたい。
この「私が愛したウルトラセブン」を作ったプロセスを見てみたい。これだけ「関わり」を、人々がーーそれぞれバラバラだったものが、具体的な出来事からくる人間関係が、イヤでもそれによって、みながひとつの目的を定めて、それに向かって頑張っていかざるをえないというーーその「現実」が、どうしようもなく大変で、でも尊い
もともとウルトラセブンの制作過程を中心に描かれた物語だ。全体としてはフィクションが相当あるらしいが、それはいいし、またべつな課題だ。結果的にはこのドラマは面白かったのだからそれでいい。今度は、このドラマそれじたいの経緯が知りたい。事実や実話を基本軸にしながら、でも物語性としての面白さも忘れずにバランスの取れたーーそういうドラマを作ってほしい。やはりNHKでやるのがいいと思う。NHKだけにこだわるつもりはないが、でもこのドラマを根底から見つめてそこにあった様々の人間関係やその当時の世相や空気を感じて、人々がどんな気持ちや状況のなかでドラマを作っていったのかということを描くには、やっぱり「私が愛したウルトラセブン」を作ったNHKが手掛けるのがいいと思う。ぜひとも作ってほしい。

ロシアとウクライナの同時加盟を

ロシアとウクライナNATOに同時加盟をすることはできないだろうか?
少しでも早く停戦するためには、戦争当事国の利害が大きく対立しすぎている。戦況は膠着状態だ。停戦が遠のくことはいちばん悪い。そのあいだにも人は死に続けるのだから。しかし停戦の条件は厳しい。とすれば、両国ができるだけ停戦をしやすい状況にしなければならない。
ロシアの侵攻の理由はいくつかあるだろうが、その大きな理由としてウクライナNATO加入に対する警戒感と恐怖心があると思う。一方ウクライナNATO加入を強く望んでいる。それならば、両国ともにNATOの中に入ることができれば、ロシアはウクライナに対してもNATOに対しても、敵対関係ではなくなる、ということではないだろうか。手続き上の困難やアメリカなどの立場もあるだろうが、NATOという壁が対立の大きな焦点であるならば、そこで対立しあっている当事国が共に同じ集団の中に入ってしまえば、おのずと対立の「壁」は消える。NATO以外の諸問題ももちろんあるが、しかし比較的に妥協や譲歩がしやすくなるかと思う。すくなくとも現状よりは、前向きになれるように思える。

自衛隊の未来

日本に自衛権はない。個別的自衛権集団的自衛権もない。日本にあるのは平和的生存権だ。それは平和を守り、あるいは平和を築き、また万一不幸にして平和が壊れてしまうことがあれば平和を再興すること、それが平和的生存権だ。
自衛隊は「自衛」という名称はついているが、とりあえずそこへのこだわりはおき、とにかく大切なことは、自衛隊が真に平和のための組織として活動をしていけるかということだ。
自衛隊は戦力であってはならない。自衛隊は軍隊であってはならない。自衛隊は武器をもっているし、軍事的な訓練もしている。しかし自衛隊は、戦力であっても軍隊であってもならないのだ。戦力・武力・軍事力…いろいろな言い方はあるが、どれもひと言でいえば「暴力」のことだ。あるいは暴力をかたちをかえて言い換える表現にすぎない。暴力は平和を壊すものだ。だから自衛隊は、暴力である戦力や武力や軍事力を用いてはならないし、その存在は軍隊であってはならない。
たしかに自衛隊は武器を持っているし、武力を行使する能力も持っている。それでも自衛隊は、軍隊であってはならない。そこに矛盾があっても、それでも自衛隊のすべきことは平和のために活動をすることである。武器を持っていても、戦闘訓練をしても、それでも自衛隊は平和のための組織であらねばならない。

自衛隊は軍隊ではない

「戦力なき軍隊」という矛盾した表現はかなり有名だと思う。いったい「戦力5い軍隊」などという者があり得るだろうか?戦力があってはじめて軍隊というのだろう。…これはきわめて常識的な感想だ。
最初これは政治家の苦しまぎれの言い訳だと受け取られた。それが普通だろう。それが普通だが、しかし時の経過と共に、この表現はまんざら一時しのぎのたんなる言い逃れや詭弁だけではなく、あるていどの説得性をもつようになってきた。「瓢箪から駒」「嘘から出た実(まこと)」ではないが、ものごとは、時と経験によって、ほんとうに変化をしていくものなのだと思った。自衛隊は戦力であってはならない。だがその実態からは普通に考えて戦力だろう。戦力をもうすこし具体的なイメージにすると、いわゆる軍隊だろう。しかし戦力とともに軍隊も憲法上は持つことができない。
「戦力なき軍隊」が言葉上の矛盾を含んでいることはもちろんだが、軍隊も保有してはいけない。となると、どちらにしても、戦力も軍隊もだめなのだ。
ーー問題は要するに武力行使だろうが武力行使は殺傷や破壊をもたらすことだと思う。それを絶対に禁止するとなると、じっさいの社会や生活をなすためにそれは不可能でないか…とても難しい問題だが、ーーそのときに使われるのが言葉の活用なのだと思う。それは言葉による誤魔化しと受け取られる場合もあるし、じっさいに誤魔化しであることも多い。しかしそれをいうのであれば、社会はそもそも誤魔化しではないだろうか。
自衛隊は軍隊であってはならない。もちろん戦力であってもいけない。それらのことだけは、たしかなことであると思う。

自衛隊は日本国民の象徴

日本国民の象徴といえば、もちろん天皇だ。これは帝国陸海軍との引き換えに存続を許された、大日本帝国の事実上の唯一といっていい「生き残った」存在だ。ほかはたとえば国民はといえば「臣民」ではなくなった。たしかに実質の権限がなくなり形式的な象徴となったとしても、それでも天皇は残った。しかしそれは軍隊を持たないという約束のもとに保証された地位だ。名目はどうであれ、事実上は軍隊である自衛隊を持ったことで、日本国民は事実上この約束を反故にした。では天皇も廃さねばならない。しかし今さらそれもできはしないだろう。ではどうしたらいいのか?自衛隊はなくせないだろう?そんなことができるくらいなら、とっくにしている。どう言葉で言い逃れても、自衛隊がレスキューのように活動して国民からその存在を必要とされていようと、海外の人道支援で活躍が現地や国際社会から認められようがーーそれは憲法のこととは無関係だ。憲法違反の軍事力であることは、よほど無理やりの解釈をしなければ解っていることだ。憲法違反は百も承知で自衛隊を存続させていくつもりだろうから、では憲法上どうしたら整合性を持つことができるか?ーー結論からいえば、今さら整合性をもつことなどできない。
天皇は存続させていたい。事実上の軍隊でも自衛隊を必要だと考える。自衛隊を軍隊だと公言はしたくない。かといって改憲は不安で、憲法憲法でそのまま手をつけずにしておきたい。そういうなかでウクライナとロシアの戦争は、またあらたに軍事力の強大化を求める声が高まる。
自衛隊統帥権天皇に委託することーーそれで天皇と軍が一体化して整合性はなんとか取り戻せる。天皇大元帥に戻る。
自衛隊を解散することは、イヤだ。改憲することは、イヤだ。天皇制を廃止することは、イヤだ。軍縮は、イヤだ。軍拡は、イヤだ。自衛隊を軍事力とレスキューに完全分離することは、イヤだ。
天皇を残すから軍隊は持たない。これが原点なのだ。ならば、天皇も軍隊も、というのは、これはなんなのだ?「天皇も軍隊も」は、あり得ないのだ。あくまでも「天皇か?」「軍隊か?」なのだ。日本国民はーー当時はまだ「臣民」で国民ではなかったがーー当時でいえば日本の臣民と日本の政府が、「天皇か?軍隊か?」という二者択一を突き付けられ、「大日本帝国」という「国家」は、まちがいなく「天皇」を選んだのだ。日本の統治権者であった天皇は、それを承諾し、新憲法つまり日本国憲法にゴーサインを出した。
はっきりしていることは、軍隊よりも天皇のほうが大事だということだ。たとえ国民が外敵から安全を脅かされる不安があっても、それよりも天皇の地位を守ることのほうを優先したのだ。
軍隊は持たないという約束のかわりに「象徴」という実質権限はない存在として認められる、そういう取り決めだったはずだ。軍隊を持ってしまったら、天皇制は廃止しなければならない。どのみち憲法の基本的な土台は崩れた。…憲法の整合性は、しょせん崩壊している。だが憲法そのものは、誕生してからずっとそのままの姿でいる。これは結果として事実だ。よく1度も改憲しない日本国憲法にたいして、それに批判的なことを言う人たちがいるが、この憲法を変えないことこそが、日本国民の個性であり特徴であり、国民的なアイデンティティなのだ。日本の実態は変わった。時間が経過すれば変化があるのは当然のことだ。事実上の軍隊ではあっても、自衛隊は帝国陸海軍とは違う。すくなくとも、それと全く同じものだといったら、それは無理が生じるだろう。しかし事実上は軍隊であっても、名目は自衛隊は「軍隊ではない」のだ。軍隊であってはいけないのだ。
まず改憲はいっさいしないこと。これがいちばん重要だ。次に自衛隊を軍隊と呼ばないこと。自衛官国際法では軍人だが、日本国民や日本政府としては、すくなくとも公的な場や発言では、あくまで自衛官と呼ぶこと。
自衛隊の役割は、防災・災害時や災害後の復興活動・救助や救援活動であることを国民は認識すること。
広い意味でのレスキュー活動が自衛隊の任務であり、それは国防・自衛・防衛と呼ばれるものと同じである。それは基本的には人々を「守る」という目的だからだ。いわゆる「防衛」も「守る」ことだから、これと矛盾しない。だからたとえばどこかの国の軍用機が日本の領空侵犯をしても、自衛隊は警告はしても攻撃はしない。攻撃をされたときは反撃はせずに逃げる。日本は武力行使をしない国だからだ。
「守る」とは何か?ーーそれは平和のことだ。平和にすること、平和を維持すること、平和に生きること。それが、いびつでいいかげんに戦後の「奇蹟」を構築してきた日本ができることのすべてだ。
ドイツやナチスのことは、おいておこう。ソ連スターリン時代もおくとする。世界恐慌やベルサイユ体制、第1次世界大戦まで遡っていってもしかたない。帝国主義は?その最大の帝国であった大英帝国のやったことは?ーーそれを今いっても?…では満州事変は、南京虐殺はーー南京虐殺は「幻」だとさえいう声がいまだにあがるではないか。言論の自由は、それも権利として認められる。まさしく現行憲法でも保障されている自由権的基本権である。ゆえに、それを主張する自由のあることこそ尊く、誇らしい。いっているのはそれではなくて、南京の事件をなかったような発言が本気でメディアや政府に大きな影響力をもつという、その認識程度の拙劣さだ。南京虐殺など、ないほうがいいに決まっている。しかし、「あった」のだ。原爆投下も、ないほうがいいに決まっているのだ。しかしそれは「あった」ことだ。
ポツダム宣言の受諾は、その後の日本をすべて決定した。個々の具体的な事象は当然にあり、それじたいは自律的に起きる。しかしその前提にはつねにポツダム宣言がある。これは日本の敗戦宣言であるとともに日本の「再生」宣言でもあるのだ。ゆえに日本人は、ポツダム宣言から目をそらせて生きることは不可能だ。この国は、天皇と、当時は臣民といわれた国民と、政府と、この三者でつくったものだ。
憲法違反を承知で自衛隊をつくった。戦争と侵略の惨禍の記憶まだ消えやらぬ頃であったが、それでも冷戦のなか全くの無防備であることに不安を感じた。それならば改憲すればいいというのがスジを通すのであれば正しい。しかし改憲して正規の軍隊を持つことには、戦前の記憶がそれを許さなかった。加えてアメリカ側の陣営に入ることで、貿易・技術提携・投資・援助・通貨などの庇護により急速な経済成長を遂げた。アメリカの赤字覚悟の日米貿易、大量の石油供給、IMFとドルの通貨体制…これらアメリカの友好的な経済政策と「核の傘」と沖縄を軸にした日米安保…それらがなければ高度成長はあり得なかった。ーーそこに道具として使われたのが自衛隊だ。国民は、自衛隊を日陰者扱いすることによって憲法違反の政策を認めていることの「後ろめたさ」から「自衛隊を批判すること」によって、問題の本質から目をそらせた。批判するなら廃止の方向に向かえばいいではないか。しかしそれもしたくない。それが必要だと思うから容認あるいは事後承認し、しかしそれは本来は間違っていると思うから、その負い目から問題をそらすために、そのために自衛隊自衛官に八つ当たり的な態度をとってきたーーこれが、日本国民である。そして災害時のようなときだけ、自衛官の労をねぎらうようなフリをし自衛隊に存在感をアピールするような報道を政府やメディアはする。どこまでも「曖昧」を通そうとする。公言せずにタブー視する。
では自衛隊の存在をどうみるのか?
自衛隊憲法違反だ。しかし、ただの憲法違反ではない。憲法の理念は、非戦と非武装、そして平和だ。自衛隊の個々の具体的なことで、たしかに憲法に矛盾することはある。だが時代や状況のなかで、その字義通りからすれば矛盾した現象が生まれてくることは仕方ないことであるし、むしろそれは、あったほうがよいと言える。それは、具体的な事項においては矛盾や合致しないことが生じても、そのことによって実際には憲法が求めている理念的な目的を達することに役立ち必要なことだという場合がある。文章上の字句や表現をこえて、表面の単語や文章よりも、現実の世の中の変化のほうが、その憲法がもつ理念を「より実現化」している、ということだ。つまり憲法違反によって、じっさいには、「より憲法理念に近づく」ということである。たしかに発足時において、自衛隊は明らかに憲法違反であったと思う。だが、その後の人員・装備・予算、また配置や訓練、米軍との関わり、それらの変化のたびにといってもいいほどに、自衛隊は警戒され批判されてきた。それらは主として野党や労組、左翼勢力や反戦団体、それに理想的な信条の知識人・文化人・ジャーナリスト、それらの人々によってなされてきたものが多く、その警戒感や批判の内容は、なかには見当違いなものや極端な主張もあったが、しかし大半は正鵠を得たものであったかと思う。ーーそれらの批判によって自衛隊は大きく成熟した。
かつて、まだ占領下の時代に、朝鮮戦争が始まるとまもなく、マッカーサーの命令で警察予備隊が生まれたとき、その当時から既に予備隊は憲法で禁止されている戦力に相当するのではないかという疑念や批判はあった。ただ現実に占領下の日本ではマッカーサーの命令は絶対であったから事実上はどうにもならなかった。日本に非武装憲法を押し付けた当のマッカーサーによって、今度はその憲法に違反する懸念がある再軍備に通じるかもしれない組織を作れというのだ。政府も法律も、そして憲法もすっ飛ばして「超」法規的にだ。当時の警察予備隊は、装備こそ小規模なライフル程度のもので、それじたいは既成の警察の延長といえば言えないこともなかったかもしれない。だが人員の多さとその訓練の仕方、そして旧軍の経験者などが少なからず希望者となり採用されていったこと、隊員たちが一般の当時の日本人にくらべて
国防という意識が強かったと思われること…等々から全般的に考えて、それはやはり「外向き」の実力組織と考えるのがしぜんだった。そうこうしているうちに、隣国の朝鮮半島で凄まじい流血の戦いがおこなわれたことで日本の産業は急速に復興し始める。西側陣営に日本を組み込みたいアメリカは急速に態度を変えて日本の早期独立を求めた。旧・連合軍諸国のなかには、日本の軍国主義復活と侵略的な体質に懐疑的な声もあったが、朝鮮戦争という現実の激しい戦いのなかで、とくに西側陣営諸国は、結局は日本を早く独立させて自陣営に引き入れるほうを選択肢した。もちろんその背景には、アメリカのもつ強大な軍事力と巨大な経済力とがあった。第二次世界大戦終結直後のアメリカは、国際取引に用いる保障担保にあたる金(きん)を世界の8割も確保していた。その富を背景にドルは国際通貨を支配した。圧倒的な強さの経済力であった。加えて当時は唯一の原爆、つまり核兵器所有国だった。
そのアメリカの発言力の大きさと、現実におこなわれている朝鮮戦争での「東側からの防衛」「共産主義の脅威」という恐怖感からーー結果的には予想もできなかったほど早く日本の講和条約は締結された。ただし当時は西側とだけの講和であったが。
問題は講和後である。
講和とともに日米安保も結ばれた。占領は終わったが基地は残った。沖縄は取り残された。ーーしかし、それでも独立したことはたしかだ。どうであろうとも、基本的には、日本のことは日本で決めることができるようになった。それからは、警察予備隊から保安隊と名称を変えていたこの実力組織をどうするのか?まだそれは憲法で禁止された「戦力」に相当するものであるか否かは議論が分かれるところであり、正直「微妙」であったことも事実だったともいえた。しかしそれが違憲の疑いがあるのであれば、あえてそれは一旦は解散をするべきであったろう。たとえ形式だけでもいい。書類上、手続き上だけでもいい。「解散をした」という形式が必要だったのだ。そのあとで、あらためて徹底した議論をして、広く国民的な論議を呼びかけて、しかる後に衆議院を解散して国民に決定権を問う。その上で、あらためて保安隊を創設するという手続きをとる。やはり戦力の疑いがあるものはつくらないほうがいいというのであれば、じっさいには残っている実力組織を今度は名実ともになくせばいい。隊員・元隊員にたいする再就職や保障のことなどはまたべつのことである。ーーそうすることが、あきらかに「すじを通す」やり方なはずであった。ーーだが、日本はそうしなかった。そして、そこから日本は「いびつ」な国に向かって突き進んでいった。
1954年、自衛隊が誕生した。
1954年。ーー敗戦から9年後、日本国憲法の施行から7年後、朝鮮戦争の勃発から4年後、講和条約の発効から2年後、そしてビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被曝し、その年の秋に映画ゴジラの第1作が公開された、その年である。
自衛隊」という現在まで続いている名称をもつ組織は、MSA協定とともに本格的な「戦力」として確立し、発達していく。この段階になると、さすがにそれを「戦力ではない」「軍隊ではない」と言うことには無理があるということは、誰でも判るようになった。それは再軍備に反対の立場をとる側はもとより、再軍備に賛成な人にも判ることであった。ーーじつは、このぐらいの頃からなのである。本当に激しい防衛論議憲法問題がなされるようになったのは…
それまでは細かい議論の相違はあっても、政府と国民、保守と革新、それらのあいだにも、おおざっぱなところでは、それほど大きな違いはなかった。憲法が押し付けられたかどうかよりも、憲法の基本的なことは肯定されていた。日本が戦力を持たないことは、議論の以前に当然のこととされていた。それが1950年代の半ば頃から以降は、それら根本のことが「問題」になったのだ。ごく一部の右翼やタカ派の政治家などを除いては、みな「再軍備」などは「とんでもない」ことだった。たとえ腹の中では再軍備に賛成な考えを持っていても、タテマエでは再軍備に反対の立場をとり、保安隊から自衛隊のプロセスのなかでも、なんとかして保安隊なり自衛隊なりを「合憲」として言い切らねばならない。そこには、たとえば「軍隊は軍隊でも、戦力なき軍隊である」というような答弁さえ生まれた。当時、これを聞いて、再軍備改憲に賛成な人々でさえも、さすがに「いかになんでも、それは…」と頭を抱えた。ーーその反対に、それまでは、批判的な考えや発言はあっても、それほど大きな動きではなかった左翼や革新政党など、反政府側の勢力を一挙に勢いづかせた。それはある意味では「平和思想の過激化」を生んだ。平和なのに「過激」というのも違和感のある言い方かもしれないが、もうすこし言えば、憲法の平和主義をーーもちろん、それはたしかに平和主義ではあるのだが、それを本来の憲法の主旨をこえて極端に推し進めた解釈や主張になっていった、ということもあった。憲法、とくにその第九条で定められた規定では、たしかに平時の戦力は保持できないというのが普通の解釈だが、一方的に侵略を受けた場合に、いわゆる、「急迫不正」の攻撃・侵略を受けた場合には、国家として普通に有している、いわゆる「自衛権」が発動し、自衛権の行使としての普通に言われるところの「自衛戦争」をおこなうことは当然に認められている、と解釈するのが通説であったはずである。もっとも、じっさいには、戦力を持たず、兵士の訓練もされていず、とつぜん急ごしらえで戦力など持つことは事実上は不可能に近いことだろう。ただ、ここでは可能か不可能かはべつにして、自衛の権利そのものは有しているという意味だ。またこれは権利であっても義務ではないので、その権利を行使するかしないかはその国の自由だ。
そして外国の軍隊や基地などの軍事施設を置くことに関しては、憲法はこれについては規定がない。しかし平和主義の極端化は、基地を置くことも日米安保も「憲法違反」として解釈する傾向になっていった。駐留米軍や米軍基地は、日本政府が認めたものだ。たとえ米軍であっても、もちろん米軍以外の軍隊であっても、それを日本政府が認めるということは、日本の国家が軍隊を持っているのと同じことだ。だから日米安保も、それに伴う日本国内の基地も、米軍の軍艦が日本の港に寄港するのも、憲法違反である、と。こういった主張から、たとえば旧・社会党の「非武装中立」論も出てきた。
さらに憲法解釈は進んだ。まず武器の輸出を禁止する。だから当然に、軍需産業は禁止される。直接の武器でなくても、武器に成りそうなもの、改造すれば武器になる危険性が大きいものも作ってはならない。軍事研究も禁止で軍事的なことに関わる可能性のある研究も禁止される。たとえば民間の団体などが竹槍で訓練をするのも、戦力もしくは戦力になり得る可能性があるので憲法違反の疑いがある。ーーこれら直接には軍事かどうかはべつにして、軍事的な目的になる可能性の大きいことを含めて禁止もしくは禁止の方向にもっていく。第九条で定められた「陸海空その他の戦力」の禁止条項のうちの「その他の戦力」であるが、この「その他」を「潜在的な」と解釈したものだ。まずしぜんな解釈だと「その他の戦力」というのは、例示されているような「陸海空」つまり陸軍・海軍・空軍はもとより、その名称がどうであろうとも実際には軍隊であれば、それは禁止されるということを考えるだろう。しかしそれにとどまらず「潜在的な戦力」をも禁止されたものと解釈されたのだ。英文では「ポテンシャル」が使われているので、それを「潜在的」とすることは正しいが、ただ日本語文からすれば、その賛否はおいても、かなり徹底した解釈といえる。
みずからは戦力を持たず非武装であるべきことはもちろん、軍事同盟を結ばず外国の基地を置くことも認めない。いわゆる中立の外交をめざす非武装中立を前提にした日本は、かりに他国からの侵略を受けた場合にどうするのかということも活発な意見が交わされるようになった。いちばん基本的な見解は、国民は各人の自由意思で行動するというものだった。とくに何かをするというわけでなく、成り行き任せというのも自由。積極的に侵略してきた国に従うのも自由。武器を持ってレジスタンスなどの抵抗運動をするのも自由。非暴力による抵抗運動をするのも自由。逃亡するのも自由。総じて国民は、各個人の判断に任せられるというものだった。
ただそのなかでも非暴力という思想と行動が、あるていどの発言力を強めていった。いわゆる進歩的な知識人とよばれる人々のなかには、国民は普段から非暴力による抵抗運動の学習をおこない、その訓練をして、ある意味では「武器を持たない兵士」のように徹底した国民教育をしていくべきだという意見もあった。ある意味で旧軍をこえるほどに徹底した「全国民が一丸となって強固な意志のもとに命をかけて侵略者に抵抗する」というものだった。国をあげて、五十年、百年という長期的な展望のもとに、教育・情報・経済的社会的な政策を含め、国民全体を非暴力の民とするというものだ。まちがっても暴力を用いないように、機械的に自分の両手を後ろ手に組み、何があってもどんなひどいことをされても、いっさい手をあげない。暴力を否定するというよりも、むしろ暴力を振るうという行為そのものが不可能になるほど徹底して心身ともに染みこませて、ある意味で「非暴力人間」とでもいう新しい人格を作り上げていく。そこまで考えるのは、それぐらいにしなければ、侵略者を排除して独立を取り戻すことができないと思うからであろう。しかもたんに非暴力というだけでなく、積極的に侵略者に対して嫌がらせをする、侮蔑する、苦しめさせる、いらつかせる、反抗する…それで殺されるならむしろ本望ぐらいの生き方・態度・日常生活をしていく。非暴力でさえあれば、あらゆる手段で侵略者に損失を与え、疲弊させ消耗させ、精神的にも物質的にも破滅させる。いっさいの協力を拒否し、少しでも侵略者の益になりそうなことは手を貸さない。最終的には、1億総虐殺をされることも覚悟する。全国民による総玉砕の精神である。国民の1人ひとりが「非暴力による抵抗に徹し」「平和のために殉ずる」という徹底的なヒロイズムであり、その洗脳化であり、「武器なき兵士」「軍備なき軍隊」の完成をめざす。反戦平和主義の究極化である。
ただ、さすがにそこまでの極論は、自衛隊日米安保に反対の立場の人でも、それに無条件に賛同することは難しかったようだ。ーーしかし、上記のような極論は平和活動家などのなかでも比較的に少数派であったかもしれないが、しかしかりにそこまでの極端な主張ではないにしても、前述のような思想を含めて、じつにさまざまな平和に関する意見が生まれ、飛び交い、それは日本人の中に、意識的か無意識かはべつにして、確実に日本国民に浸透していった。なるほどそれは政権を変えるまでにはいたらなかった。それは「なるほどそれは判る」「その気持ちや理論には賛同する部分もあるし、すくなくとも、それを頭から否定する気はない」そういう意見や感想も多かったと思う。しかしやはり、一般的にはならなかった。
その一方で自衛隊のほうは、逆に、批判されるごとに強くなっていった。この強くなっていったというのは、大人になり、賢くなり、謙虚になり、ーー成熟していったという意味だ。
専守防衛に徹する。これはどこの国でもタテマエではそうなのだ。だが実際には軍事同盟を公然とすすめ、ひどい場合には先制核攻撃までをも専守防衛や自衛の理由にしてしまったら、事実上はすべて「自衛」になってしまう。また中立国で、自国が侵略を受けた場合は徹底抗戦する。永世中立国だと侵略者を排除することは国際法上の義務でさえある。それはともかく、自衛隊は、たしかに事実上は戦力ではあるが、しかし実力は持っていても、その実力行使はできるだけ避けようとする。敵軍を倒せばいい、ただやみくもに敵だからといって損傷を負わせればいいといった、そういう考えは持たない。そう思う自衛官もいるだろうが、基本的には自衛官は「人々は守る」ことを主要な目的にしている。あくまでも「やむをえず」に武力行使をする場合もある、これが自衛官自衛隊の基本精神で、そのてんで旧軍と異なるのはもちろん、他の諸国の軍隊とも、ややおもむきが違う。どちらかというと、たとえば国連のブルーヘルメットのような感覚かもしれない。あくまで「人命」をはじめ、人々の安全を「守る」ことが目的で敵戦力を破壊することは、それが結果的に必要なためであって、敵戦力を破壊することそれじたいは目的「ではない」。もちろんじっさいの戦闘になってしまえばーーそういうことがあってはこまるがーーどういうことになるか分からないし、そんなタテマエみたいなキレイゴトなど言っている余裕もないかもしれない。…しれない…が、それでもそのようであるべきだという方向性はたしかにある。
第九条と自衛隊は「関わり合いながら共存」しているのである。